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【福岡県大野城市】竹田修吉先生追慕碑

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竹田修吉先生追慕碑
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恩師竹田修吉先生追慕碑

 

 恩師竹田修吉先生は、黒田藩儒(学者)瞬庵先生(竹田定直)十代の裔なり。家は世々藩学修猷館の祭酒(校長)たり。廃藩の後明治七年先考(父)謙窓先生居を牛頸の郷に定む。先生時に二才 先生■童(すぐれた子供)にして修悠館に学び、また贄を宮本竹■先生に執り(門人になる)孔孟程朱(孔子孟子、程■、程■、朱纂)の道を修め■然頭角を露はす。明治二十五年牛頸小学校に奉職し、爾来三十星霜、教■■むことなく精励すること一日の如し。このゆえ先生陶■(教え導く)の者父子相続き■頓(村中)に満つ。先生自ら倹■(つつましくおごらない)を奉して、栄達を追わず名利を■めず。以って範を一郷に垂る。なお郷俗質僕郭厚(飾りけがなく人情があつい)の風ある所以は、蓋し先生の徳化と謂ふべし。而してすでに先生老を告げ教職を去る。村民これを惜しむ。なお学務委員に推され学事に■掌し(忙しく働いてひまがない)、更に選ばれて村会議員となり、産業組合監事に■■し、村治の功績少なからず。頃者(このごろ)其薫陶を蒙りし者■議(互に相談する)し、碑を建て以って徳業を後昆に表はさんと欲し、来りて文を余に属す。余不文なりと雖も、眷顧最も厚くして深く先生の徳行を知る者又何んぞ敢へて辞すべけんや。

■って其の■概を叙へて爾か云う。