歴研

歴史好きの歴史好きによる歴史好きの為のブログ

【大分県玖珠郡九重町】宝八幡宮

f:id:rekiken9:20190909210120j:image

大分県玖珠郡九重町鎮座の宝八幡宮
f:id:rekiken9:20190909210203j:image

御由緒

 当神社は、今から約千三百年前の奈良時代・養老二年(718)二月に霊峰宝山に八幡神社の総本社宇佐神宮より、ご分霊をいただき創建されました。

 『豊後国志』に「国司奉奏して祠を建て郡の惣社となす」とあるごとく古来より上下の信仰を集めました。特に鎌倉時代初期、大友能直当国所領の頃より社頭いよいよ繁栄するに至り、能直は当神社を「豊後七■八幡」の一つとして、神殿のご造営を行いました。

 時移り戦国時代末期・天正十四年(1586)薩摩島津義弘の軍■玖珠郡に乱入した折、兵火にかかり社殿を始め各種建造物・古文書■宝類に至るまで、悉く焼失・散財致しました。

 古来より郡の宗廟として崇敬篤く、延宝五年(1677)造立の第三鳥居の右柱に、「神宮寺八幡大菩薩御寶前」と刻まれてあるごとく、かつては附属の神宮寺や各坊がありました。なお同鳥居神額の揮毫は、英彦山座主によるものです。

 また明和八年(1671)には、摂家門跡であります京都の「随心院御門跡」より御神燈二張の寄進があり、慢幕などに菊の御紋を付けることを許可され、御祈願所となりました。

 さらに天和四年(1784)には、神祇道管領吉田良延より「宝山総社八幡宮」と称し奉る旨の神宜を賜り、今御本殿の正面の額にかかげています。

 明治新政府社格制度では、「郷社」に指定されました。昭和天皇のご大典には、県下三社の内に加えられ大規模な神苑工事を行い、近年は駐車場・参道も整備され、今日に見るがごとき荘厳なるご社領となりました。またアジサイの名所としても知られるようになり、六月中旬から七月中旬のシーズンには沢山のアジサイが咲き乱れ、俳句大会など「アジサイ祭」も催されています。


f:id:rekiken9:20190909210140j:image

広瀬淡窓先生と玖珠

 大分県が生んだ威大なる硯学に、広瀬淡窓先生がいます。先生は、江戸時代天明二年(1782)四月十一日に今の日田市で、広瀬三郎右衛門の長男として生まれました。名を健、字を子基といい、淡窓・苓陽・青渓などと号しました。先生は、安岐の三浦梅園・日出の帆足万里と共に、豊後の三賢の一人に数えられています。

 広瀬家の家業は代々諸般の御用達を努め、掛屋の仕事もする豪商で屋号を「博多屋」といいます。詩聖淡窓先生は、この広瀬宗家博多屋の長男として生まれ、文藻豊かで俳人としても名高い伯父平八(秋風庵月化)のもとで、六歳まで養育されました。先生は幼くして神童と呼ばれておりましたが、病弱でしたので学問によって身を立てるべく決心し、家業を弟の久兵衛に譲りました。

 先生は十五才の寛政八年(1795)から、福岡藩の大儒亀井南冥・昭陽父子の私塾で学び、その後文化二年(1805)日田の豆田町で、初めて子弟を教授し塾を開きました。

 先生の塾を「咸宜園」といい、これは「咸宜しき学園」という意味です。つまり、この塾に学ぶ子弟は、皆それぞれ個性に応じてその天分を伸ばすことができるということで、その教育を実践したからこそ、多種多才な人材がこの塾から輩出しました。

 このような先生のひたむきな教育に対する情熱で、交通事情の悪い当時としては珍しく、全国津々浦々から相前後して、三千人と言われる門弟が集まり大変な盛況でした。この玖珠・東飯田からも、多くの子弟が入門しています。

 ところで、この広瀬淡窓先生と右田舟来の麻生家とは、学問的にも血縁的にも深い関係を有しています。先生がこの麻生家に一泊した際の天保十五年(1844)九月一日に、先生初期の高弟、麻生伊織(先生の妹那智の婿)に贈った詩を刻んだのが、この文学碑です。

(読み)書楼開けば両峯の間に在り、捲鳥帰雲意自から闃なり天は君の家の為に福寿を栽える、宝山相対する萬年山

(意訳)あなたの書斎(二階屋)に上がって窓を開けば、宝山と万年山の間に位置しているではないか、ここからは、飛ぶことに疲れた鳥や、湧き出ずる雲が再び山々に帰っていくのがみえる。私の心も、このような自然と一体となり、安らいだ気持ちになる。天は、君の家の為に福寿を集めてくれている。宝山と相接している万年山のこの二山は、宝の山と長寿を合わせ有しているではないか。なんどめでたきところにあることか。

 

文学碑の漢詩は、麻生家の御子孫八鹿酒造株式会社の社長麻生太一氏所蔵の掛け軸より、同氏の御好意により先生の御真筆を、そのまま原寸大にて複写させていただきました。この詩は、直接的には麻生家へ贈られたものです。しかし詩の中にもありますように、「宝山」と「万年山」とに囲まれた地域にある全ての家々、つまりこの東飯田にあるそれぞれの君の家は、同じく福寿をあつめたとても素晴らしいところであると、広く解釈することができます。

 この詩は、宝の山という福(富、財宝)と万年山■寿(延命長寿)を取り入れており、この玖珠の大自然と悠久■れを、見事に詠いこんでいます。そこに、限りない自然と■空間・宇宙を感ぜずにはおれません。

 日本的な大学者であります広瀬淡窓先生による、この玖珠の宝山や万年山に関する詩があることに、喜びと感動を禁じえません。かくして私達はここに文学碑を、総社宝八幡宮の境内に建立することにしました。この立派な詩を通じて、淡窓先生におよぼした無限の恩恵を、皆様に広く知っていただければ、

 


f:id:rekiken9:20190909210155j:image

松木川 大蛍

 昔、この松木の地に壇ノ浦の戦に破れた平家の残党が辿り着き人目を忍び山奥に住み着きました。

 平家山と呼ばれるその山には住居の趾も残っており、鍛冶屋原と呼ばれる所では、今でも金属の屑らしきものが出てきます。そのとき運んできた財宝を隠したと言われた山は宝山と呼ばれています。

 宝山にはいくつもの洞窟があり中腹には正月になると七福神と宝船の出発や県指定文化財宝楽で知られる宝八幡宮が祭られています。平家の子孫の面影はこの地に住む多くの、美男、美女の姿に偲ばれ数多くの伝説には、いにしえのロマンが感じられます。

 昔から変わらぬ美しい松木川の清流、竜門の滝はその昔平家の子孫も眺めたことでありませう。

 源氏蛍と平家蛍そして美しく可憐な姫蛍を末永く眺められるように蛍の住む美しい清流を子孫に残せることを願いここに蛍の広場と松木川大蛍を設置いたしました。皆様力を併せ美しい町づくりに取り組みませう。


f:id:rekiken9:20190909210112j:image

宝船
f:id:rekiken9:20190909210131j:image

イノシシ
f:id:rekiken9:20190909210147j:image

本殿

 

神社名 八幡宮
住所 大分県玖珠郡九重町大字松木1371
TEL 0973-76-3129
御祭神 品陀別大神、帯仲彦大神、息長帯姫大神
創建年 718年
社格 郷社
建築様式  
駐車場  
御朱印