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【福岡県うきは市】正平塔

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正平塔

 

 筑後川から取水した大石・長野水道のほとり、田園の中にある宝塔で、正平十八年の銘があり俗に「正平塔」という。

 塔身には金剛界五仏を示す四種の梵字を彫し、「願以此功徳普及於一切我等興衆生皆共成仏道」正平十八年(1363)七月八日、調衆各敬白の普回向の銘文が刻まれている。

 調衆は、黒木助能を始祖とする星野・黒木・川崎の三氏で元々は兄弟である。なかでも星野氏は、耳納山の山城を拠点として吉井周辺を支配していた。南北朝の戦乱には、肥後の菊池氏と征西将軍懐良親王を奉じて南朝の皇運回復に誠忠を尽した。北朝武家側とは幾度も戦い、多くの生命が失われた。正平十四年の大原合戦(筑後川の戦い)は、両軍最大の激戦で双方とも多数の戦没者が出た。これらの戦いで散華した両軍将士の霊を供養するため調衆が建立したものである。


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