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【福岡県志免町】亀山石棺


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亀山石棺 志免町指定史跡

 

 この亀山八幡宮境内には、弥生時代末から古墳時代初頭に造られた「亀山石棺」があります。須恵川流域の平野と多々良川流域の平野を望む場所にあり、墳丘をもつ大型石棺墓1基のほかに石棺墓6基が確認されています。

 1号石棺と3号石棺は九州でも最大級の箱式石棺墓で、内部には朱が塗られた貴重なものです。

 

亀山石棺は、須恵川と多々良川の流域平野が望める独立丘陵上に立地し、大きな石材を用いた石棺が主体部の古墳1基と、石棺墓6基(2基は埋まっています)で構成されています。

 1号墳は、1924年発行の県文化財報告書に、既に墳丘が削られて大型石棺が露出していたという記述があり、1992年の調査で直径約13mの円墳であること、碧玉製の管玉4点や朱の塊などが発見されたことなどから、この地域の首長クラスの墓であったと考えられます。

 弥生時代終末期の糟屋地域には、亀山石棺のほかにも、大隈石棺(県史跡・粕屋町)などの大型石棺墓がいくつか分布しています。これらの貴重な文化財を、大切に後世に伝えていきたいものです。




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1号墳

 墳丘規模12・8m、高さ2mの円墳と考えられます。

 蓋石が270㎝×180㎝、内法は縦180㎝×横50㎝×高さ40㎝の日本でも最大級の大型箱式石棺墓です。

 4個の管玉が出土し、内側に朱(赤色硫化水銀)が惜しげもなく使われています。

 

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石棺群

 亀山八幡宮に見られる石棺の大きさは、大小さまざまです。大きな石棺には大人、小さな石棺には子供が入る大きさです。

 そして、全ての石棺には朱(赤色顔料)が塗られています。

 また、これらの石棺は寄り添うようにあり、葬られた人たちは親族関係にあったのではないかと考えられています。

 


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