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【福岡県うきは市】月岡古墳

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福岡県うきは市の月岡古墳
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月岡古墳

 

 月岡古墳は、今からおよそ1500年以上前の古墳時代中期(5世紀中頃)に、若宮古墳群の中で最初に造られた古墳です。全長は約80mで、墳丘の高さは前方部が6m、後円部が7m程度あり、前方部を西に、後円部を東に向けた前方後円墳です。昭和60年代に行われた発掘調査で、前方部の外側には三重の濠が巡っていたことなどが確認されています。

 今では古墳の形は若干崩れ、後円部にあった竪穴式石室は完全に失われていますが、江戸時代後期(1805年・文化2年)に、多く副葬品がここから発見されています。現在、後円部墳丘上にある建物は、本来は石室があった場所に建てられており。石室内に置かれていた凝灰岩質の長持形石棺が、発掘当時のまま大切に保存されています。

 この石室や石棺の中からは、鉄製の甲・冑・刀・剣・鏃・馬具のほか、鏡・玉類など多種多様なものが出土し、中でも細やかな文様を刻んだ金銅で飾った冑・脛当・ベルト金具・鞍といった品々は特に精巧な作りで、朝鮮半島との強いつながりが指摘されています。また、長持形石棺という、当時、勢力を誇っていた近畿地方の有力者の古墳と同様の埋葬施設をもつことなどから、この月岡古墳に葬られた権力者は、大和政権とかなり密接なつながりをもっていたと考えられ、考古学的にも大変注目される古墳です。

 

宮古墳群・・・周辺に分布する月岡古墳・塚堂古墳・日岡古墳の3つの首長墓

 

これらの貴重な出土品は、江戸時代の発掘の記録と共に一括して、昭和36年に国の重要文化財に指定され、現在、歴史民俗資料館に展示されています。

 


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石室があった場所に建てられた社殿

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花本大明神

百年の けしきを 庭の落葉かな

嘉永二年製