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歴史好きの歴史好きによる歴史好きの為のブログ

【福岡県嘉麻市】山野の庚申塔

六十一日目に回ってくる庚申の日の晩に、組内の人びとが集って徹夜する風習がある。これを庚申信仰といい、無病息災・延命長寿・五穀豊穣を祈っての行事である。ここの石塔群は、昔は村の出入口や三差路に立てられていた。道の分岐点や交差点は、災いが集ま…

【福岡県嘉麻市】稲築八幡宮

福岡県嘉麻市の稲築八幡宮 神功皇后、軍を大分にて解き給ひ、漆生産神の境内にて御休憩ありし時、里人、稲を敷きて御座を勧め奉れり神の降跡たる秀麗なる山なれども、時すぎ、世隔たりければ汚穢の塵に交わりたらん事を、いといて頂き七尺をうかち、其所に稲…

【福岡県嘉麻市】沖出古墳

福岡県嘉麻市の沖出古墳 嘉麻市とその周辺の古墳 3世紀後半以降から7世紀にかけて東北地方から九州南部まで大小様々な古墳が築かれました。この時代は「古墳時代」と呼ばれ4世紀代を前期、5世紀代を中期、6世紀代を後期、7世紀代を終末期と呼んでいま…

【福岡県嘉麻市】若八幡神社

福岡県嘉麻市の若宮八幡宮 後冷泉天皇(第70代)の天喜元年頃(1053)に創建される。(奉納の神鉾に天喜元年八月十八日の銘がある) 御嵯峨天皇(第八十八代)の寛元二年(1244)の春、宇佐大宮司豊前国到津、筑前国立岩別府領主下山野冠者、宇佐…

【福岡県嘉麻市】山野の石像群

福岡県嘉麻市の山野の石像群 県指定有形民俗文化財 山野の石像群 文永八(1271)年に、神宮寺座主妙道が奉納したと伝えられるこの石像群は、人々に『五百羅漢』と呼ばれ、人々の手厚い保護により今日まで保存されています。石像は子守り姿や荷を背負う姿…

【佐賀県鳥栖市】姿見の池

姿見の池(史話伝説) 長崎市の中島天満宮に残っている聖廟記によると、延喜元年(901年)菅原道真が太宰府に流されたとき従った三澄左近将監時遠は、年老いて瓜生野(現在の元町付近に隠居したが、時遠には子がなかったので道真に請い、五子、長寿磨を養…

【佐賀県鳥栖市】秋葉神社

佐賀県鳥栖市の秋葉神社 秋葉神社縁起 火防・火伏の神、火之迦具土神を祭神として、静岡県周郡の秋葉山本宮秋葉神社で発祥した「秋葉信仰」は、中世にはすでに修験者の手により流布していた。 江戸時代貞享二年(1685)に神社の眷属神である、秋葉三尺坊…

【佐賀県鳥栖市】田代宿(昌町)の追分石

鳥栖市重要有形民俗文化財 田代町(昌町)の追分石 この追分石には「右ひこ山道、左こくら・はかた道」の文字が刻まれています。江戸時代ここは長崎街道と日田・英彦山道の分岐点で田代宿の東口(田代昌町)でした。 「右ひこ山道」の道は日田・英彦山道と呼…

【福岡県篠栗町】長者の隈古墳

福岡県篠栗町の長者の隈古墳 玄室 玄室天井、袖石 盗掘抗(ここから石室内に入ります、一番右の穴が入りやすい) 葺石とみられる石材が墳丘に点在している 場所は非常に分かりにくいが西浦池の東南側にこのような道があるので進み、先に見える山をのぼる

【佐賀県鳥栖市】日子神社

佐賀県鳥栖市の日子神社 鳥栖の長崎街道 轟木宿 長崎街道は、江戸時代の小倉ー長崎間57里(約220㎞)を25か所の宿場で結んでいました。当時の鎖国体制の中で唯一、海外への窓口であった長崎。その長崎へと続く長崎街道は、貴重な‘文明ロード‘とも言われてい…

【東京都渋谷区】東郷神社

東京都渋谷区鎮座の東郷神社 東郷平八郎命は弘化四年(1847年)薩摩藩士東郷吉右衛門の四子として鹿児島市加治屋町で生まれ昭和九年(1934年)五月三十日八十八歳で東京麹町三番町で薨去されました。 明治四年(1871年)二十四歳のとき英国留学七年間海軍士…

【愛媛県松山市】伊豫豆比古命神社

愛媛県松山市鎮座の伊豫豆比古命神社 楼門 拝殿 神社名 伊豫豆比古命神社 住所 愛媛県松山市居相2丁目2−1 TEL 089-956-0321 御祭神 創建年 社格 建築様式 駐車場 御朱印

【東京都台東区】浅草神社

東京都台東区鎮座の浅草神社 御由緒 推古天皇の御代三十六年(628)三月十八日、漁師の檜前浜成と竹成の兄弟が浅草浦(現在の隅田川)で漁労に精を出していましたが、その日に限り一匹の漁もなく網にかかるのはただ人型の像だけでした。兄弟も不思議に思いそ…

【東京都台東区】浅草寺

東京都台東区の浅草寺 雷門(風雷神門) 天慶五年(942)、平公雅によって創建されたのが始まり。門の正面向かって右に「風神」、左に「雷神」を祀る。このことから「雷門(風雷神門)」と呼ばれる。ともに鬼面蓬髪、風袋を担いで天空を駆ける風神と、虎の皮…

【福岡県篠栗町】乙犬八幡宮

福岡県篠栗町の乙犬八幡宮 拝殿 本殿

【福岡市東区】宮前古墳

宮前古墳 この古墳は西暦6世紀末につくられた墓と推定されていますので、今から約千四百年前に築造された横穴式古墳であります。 昭和四十五年、高美台団地造成に先立って福岡市教育委員会文化課の手で発掘の結果、古墳内部に残された遺物などから武人の墓と…

【福岡市東区】大神神社

福岡市東区の大神神社 御由緒 神功皇后御征韓の節、大和の将兵此の地に駐屯の折勧請したるものと伝う。 立花成就は守護神として特に崇敬厚かりし、永禄十年九月八日、宗像大宮司氏貞 許斐左馬大夫氏備の軍勢 上和白村に乱入して民家を焼き払う。立花城代怒留…

【東京都千代田区】東京大神宮

東京都千代田区鎮座の東京大神宮 明治天皇のご裁断を仰ぎ、東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治十三年二創建された当社は、最初日比谷の地に鎮座していたことから、世に日比谷大神宮と称されていました。関東大震災後の昭和三年に現在地に移ってからは、…

【福岡県久山町】斎宮

福岡県久山町の斎宮 当宮は神功皇后が新羅征伐のとき、みづから神主となり、神教を祈願された霊蹤の地であり、つぎのような由来を伝えている。 第十四代仲哀天皇は、仲哀八年己卯の春、神功皇后と御一緒に熊襲征伐のため、筑紫の香椎宮に行幸啓された。その…

【福岡県久山町】若宮八幡宮

福岡県久山町の若宮八幡宮 当宮はその昔、現在地の南三百米に在り、天正十四年薩摩の島津家久が立花城攻略の時焼失した。慶長五年宮林の地に再建し、集落の移転と供に慶長十五年宮林より鳥越の現在地に移転す。 当時山田の村は、猪野川の流域(字古村)に在…

【福岡県粕屋町】平塚古墳

県の文化財にも指定されている巨大な箱式石棺(別名/大隈石棺)が発掘され、弥生時代から古墳時代への移行を考える上で貴重な古墳とされています。昭和26年、旧大川村の村営住宅建設の整地工事中に発見され、発掘調査が行われました。古墳の採土前の状態は7…

【福岡県飯塚市】八幡宮

福岡県飯塚市鎮座の八幡宮 (聖光上人伝)によれば、聖光上人は、建久五年(西暦1194年)明星寺五重の塔を再興の為に、大日寺山に入り、多数の人々の手で、大木を伐らせました。その時、ある大木を伐ったところ、その木の皮の下に文字が書いてありました。 …

【福岡県筑前町】焼ノ峠古墳

国指定史跡 焼ノ峠古墳 昭和46年度(1971)農地改良事業に伴い発掘調査が行われ、九州最大の全長40mの前方後方墳であることがわかり、昭和50年2月13日に国の史跡指定を受けました。 この古墳は、標高130.6mの城山から分岐する標高56mの丘陵上にあります。…

【福岡市南区】大平寺古墳

柏原歴史散歩【大平寺古墳】 大平寺古墳は6世紀末から7世紀初頭の古墳群で7基が確認されています。うち3基は消滅し、現在4基を見ることができます。この6号墳は残存部からの推定で直径約15m、高さ約3.4mの円墳で、南西方向に石室が開口しています。 入口…

【福岡市南区】羽黒神社

福岡市南区の羽黒神社 創建の時代は明らかではないが、「筑前国続風土記拾遺」に天正十四年(1586年)の当社に関する文書の存在を示す記載があり中世のころ出羽羽黒山の修験者によって勧請されたと考えられる。 江戸時代には福岡藩主の深い信仰を受け、その…

【福岡市南区】興宗寺(穴観音)

福岡市南区の興宗寺 穴観音(興宗寺) 寺塚一帯には多くの古墳がありましたが、福岡城の築城の際に石垣の石として古墳の石が抜かれ、壊滅したと伝えられています。境内に残された古墳は、古墳時代後期(6世紀)の円墳で推定直径は約20m。主体部は南向き…

【福岡県那珂川市】丸ノ口古墳

福岡県那珂川市の丸ノ口古墳 那珂川市の文化財 ここ那珂川市は、博多と佐賀県神埼を、そして糸島と太宰府を結ぶ道が交わる場所として古くから栄えたところで、市内には数多くの文化財が残されています。市の中心を流れる那珂川と、支流の梶原川によってつく…

【福岡県大野城市】雉子ヶ尾古墳

雉子ヶ尾古墳 大野城市の北東部にあたる乙金地区には、四王寺山や乙金山から伸びてくる小さな丘陵の上にたくさんの古墳が造られたことがわかっています。この古墳もそのうちのひとつで、雉子ヶ尾古墳といいます。南向きの丘陵斜面を利用して造られており、一…

【福博千人詣】24番札所

福岡市博多区の福博千人詣 第24番札所

【福岡市博多区】石投げ地蔵

地蔵菩薩の由来 地蔵信仰は釈迦出現以前のバラモン教の神話に出てくる地天(地神)でやがて仏教に包含されて、インド、中国、朝鮮半島で信仰されていた。 我が国も奈良時代(1270年前)より地蔵菩薩の信仰が初まり江戸時代(385年前)には信仰が盛ん…