【福岡県嘉麻市】稲築八幡宮
神功皇后、軍を大分にて解き給ひ、漆生産神の境内にて御休憩ありし時、里人、稲を敷きて御座を勧め奉れり神の降跡たる秀麗なる山なれども、時すぎ、世隔たりければ汚穢の塵に交わりたらん事を、いといて頂き七尺をうかち、其所に稲一束を埋め、稲築山と号して其の上に社殿を建立し、中に八幡大神をあがめ、左に神功皇后、右に比■大神を祝祭し奉る。
稲築の名は之に起因せり。
八幡宮縁起の記録に、神功皇后が応神天皇とともに宇美から都にお帰りになる途中、漆生でお休みになったと言い伝えがあります。しかし、その場所を知っている人はいません。
ところがこの漆生村で風景の優れた山の頂上を七尺ばかり堀り、ここに稲一束埋め、稲築と号して社殿を建立しました。この社殿が稲築八幡宮のおこりであり、稲築(いなつき)の名のおこりと言われています。
1の鳥居、2の鳥居(左から)
2の鳥居は古そう(天保?寛保?)
本殿
彫刻も素晴らしい
寛保三年の銘が残る庚申塔