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【福岡県田川市】風治八幡宮

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福岡県田川市鎮座の風治八幡宮
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御由緒

当社は往古伊田(飯田)大神と称し海津見神を祀りて地主神と崇め奉りし社なり、神功皇后征韓御凱旋の砌、博多湾に上陸、宇美の郷を経て嘉穂大分宮より当地に至り穴門豊浦宮へ還御の途上風雨儀に起こりし為、社前の石上に御腰を掛け給い御■の太刀を献りて伊田大神に祈願あらせられしに暴風雨忽ちに治まり、つつがなく豊浦宮に到り給いき(此石今尚社前にある)

人皇第五十二代嵯峨天皇の御宇弘仁五年夏大旱魃ありて、百穀将に枯れんとせし時、香春郡司、僧最澄伝教大師)をして当社に迄、雨祈願せしに■雨在りて五穀豊穣す。住民大いに喜び神徳をかしこみて長松寿院の辺り(現位置を意味する)に荘厳なる社殿を建立せり。

弘仁八年秋神託に依り、宇佐宮より神霊を勧請合祀し、八幡宮と為す。其の後、天正時代の兵火に罹りて右文書等悉く焼失すると雖も神威赫赫として更に衰えず住民挙りて尊崇せり。元和元年国主細川公、荘園の制度を改め手永制度を定む。(上赤、下赤、山浦、大内田、小内田、上今任、下今任、桑原、秋永、安永、伊加利、上伊田、中伊田、下伊田)の以上、十四ヶ村を含して伊田手永と称し当神社を伊田手永大社と定め崇敬の念篤く大祭には奉幣せらるると共に神■には各村々より出仕せり。

元禄元年国主小笠原忠雄卿、聖后神功皇后)祈願成就の御神徳にちなみて社号に「風治」の二字を加え風治八幡宮と称するに至る。爾来藩主の崇敬神社として例祭には必ず代参を派遣し奉幣せらる。尚当宮社司毎年正月小倉城に招へいせられ慶旦の祝盃を賜りし事を例とせり。
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拝殿
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本殿
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当神社御神殿は、伊勢神宮より第六十一回式年遷宮による、別宮「土宮」の古殿舎一棟を賜り、此度の御造営に当たり復元建築を致したものです。


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全国唯一社 封宮

御祭神「思兼神、久那土神 武内宿祢神」

この封宮には特別な御神徳によって様々な災いを封じ込める三柱の封じ神様が祀られています。

人には相談しにくい事や想いを打ち明けてみて下さい。封じ神様の加護によって導かれるでしょう。殿内はご自由にお入りいただき御参拝下さい。ボケ、浮気、ギャンブル、災いなど各種祈願につきましてはお気軽に職員にお問合せ下さい。
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封宮

 

神社名 風治八幡宮
住所 福岡県田川市魚町2−30
TEL 0947-42-1135
御祭神  
創建年 815年
社格 郷社
建築様式  
駐車場  
御朱印