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【福岡県大野城市】雉子ヶ尾古墳

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雉子ヶ尾古墳

 

 大野城市の北東部にあたる乙金地区には、四王寺山や乙金山から伸びてくる小さな丘陵の上にたくさんの古墳が造られたことがわかっています。この古墳もそのうちのひとつで、雉子ヶ尾古墳といいます。南向きの丘陵斜面を利用して造られており、一番高いところで標高約51m、直径約10m、周溝幅約1mの円墳です。今から約1300~1400年前に造られた、当時の有力者の墓です。

 この場所は、乙金第二土地区画整理事業地の南端にあたります。周囲には他にも集落や須恵器窯跡などの文化財がありましたが、現在ではその姿を見ることができません。この古墳は、以前から土地所有者によって大切に保存されており、今回、区画整理組合の協力と理解の下、整備を行うこととなり、公開できるようになりました。

 大野城市内には、この他にもたくさんの貴重な文化財があります。私たちは、次の世代のためにそれらの文化財を守り・伝え・活かしていかなければなりません。
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雉子ヶ尾古墳の横穴式石室

 

 古墳の内部には、なくなった人を埋葬するために石で造った部屋状の空間があり、石室といいます。雉子ヶ尾古墳の石室には、埋葬のための玄室、玄室の前に設けられた前室、玄室・前室への通路である羨道があります。このような構造の石室を横穴式石室といい、入り口をふさいでいた石をはずせば何度でも玄室・前室へ出入りすることができます。一人の人のための墓ではなく、何代にわたって埋葬されたものです。(横穴式石室の中には前室がないものもあります)。

 石室全体はほぼ南北方向に伸びており、南側が開いています。全長は約6・9mですが、本来はもう少し長かったものと思われます。各部の大きさは、玄室が東西幅約2・6m・南北幅約2・6m・高さ約2・1m、前室が東西幅約1・9m・南北幅約2・0m・高さ約1・5m、羨道が残っている限りで幅約0.7~1.0m、長さ約2・0mです。
f:id:rekiken9:20200405113354j:image石室入口
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