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【福岡県小郡市】花立山古墳

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福岡県小郡市の花立山古墳
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県指定史跡

立山穴観音古墳

 

 花立山穴観音古墳は、花立山(城山)の西側山麓にあります。この古墳は、昔から入口が開かれて、地元では「穴観音さん」と呼んで信仰していました。内部の石壁には線で刻みつけた(線刻)文様が描かれ、そのような古墳は数が少ないことから、昭和51年に市指定文化財に指定されました。

 その後、平成16~18年度に発掘調査を行い、全長33m(後円部径22m、前方部長さ11m)の前方後円墳になることがわかりました。

 古墳のまわりには大規模な平坦な面を造成し、その上に墳丘を作っていました。また、古墳の周囲には幅の広い溝が廻り、これを含めると古墳の全長は45mになります。

 墳丘の内部には南に口が開く全長12・3mの大きな複室(前と後ろに2部屋がある)の横穴式石室を作っています。

 線刻は、石室内の6つの石の7面に描かれています。文様は、格子文・斜格子文・連続三角文などで魔除けなどの意味があります。この古墳の作られた時代は、発掘された土器などによって6世紀末頃と考えられています。

 この地域では最後の前方後円墳であり、また地域を代表する装飾古墳であることから、その歴史的価値は高く、平成19年2月5日に県指定史跡になりました。
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立山古墳

 花立山古墳は、筑紫平野北部の独立峰、花立山(130.6m)に西麓にあります。墳丘は全長約35mで、北西側に短い造出があります。

 主体部は複室構造の横穴式石室で、壁面8か所に線刻の装飾があります。

 昭和51年に市指定史跡となり、数回の調査が行われてきました。平成16年から17年にかけても墳丘や石室の発掘調査が行われています。

 

玄室右側壁

この線刻は、以前「船」などの具象画と考えられていましたが、現在は有明海沿岸に特有の斜格子文という見解に落ち着いています。

 

玄門部の右袖石側面

斜めの格子文様が線刻されています。この袖石は側面だけでなく前面(入口側)にも線刻されています。前面は、1本の縦線を中心に左右両側に三角形を並べています。


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有明海沿岸地域の装飾古墳

 

 有明海沿岸地域には、彩色文様を描く彩色系装飾古墳ではなく、釘状のもので壁面を引搔いて描く線刻系装飾古墳が多く分布しています。題材には海を意識する船・鯨・魚などを特徴とするものが多く、他に馬・鳥などがあります。古墳の時期は、6世紀後半から7世紀後半です。

 

 筑後川中流域の古墳

筑後川中流域の装飾古墳は、多彩な色調と文様に彩られた彩色系装飾古墳が有名ですが、その中に線刻系装飾古墳があります。

立山古墳  

立山古墳は、筑紫平野北部の独立峰、花立山(130.6m)に西麓にあります。墳丘は全長約35mで、北西側に短い造出があります。 昭和51年に市指定史跡となり、数回の調査が行われてきました。平成16年から17年にかけても墳丘や石室の発掘調査が行われています。 

朝倉狐塚古墳

7世紀初頭築造の直径20mの円墳である。線刻の題材は玄室に描かれたゴンドラ船(人物らしきものもある)を中心に抽象的な文様が描かれる。その中には斜格子文もある。玄室のほかに玄門・前室・羨道の石材にも文様がある。花立山古墳の線刻と筑後川中流域の彩色系壁面の両方の影響を受けていると見られる。昭和30年に県指定史跡に指定されている。

 

立山古墳の系統は、時期的・地理的に見て、ほかの線刻系装飾古墳との隔たりがあるため、突如出現した感があります。しかし、文様の種類や位置には他地域の影響が窺えます。玄門右袖石を見ると、彩色との違いはありますが、永安寺東古墳と同じ構成で、熊本方面からの影響を窺わせます。側壁のかなり広い部分に描かれた斜格子文は、その後に有明海沿岸で流行する先駆けとなりました。主体部は複室構造の横穴式石室で、壁面8か所に線刻の装飾があります。
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有明海岸地域の線刻系装飾古墳

 佐賀県西部の小城市から武雄市北方町多久市、白石町一帯、それに接した長崎県北高来郡有明海沿岸に線刻系装飾古墳が見られます。それらの古墳壁画は、主体を格子文・斜格子文が占め、それに若干の具象画が加わります。装飾古墳の多くは、群集墳中でも1基だけというものが多い中で、北方町の勇猛山古墳群や箕具崎古墳群、白石町の妻山古墳群には複数の装飾古墳が集中します。勇猛山4号墳は線刻のある位置や、両袖石に描かれる鋸歯文など花立山古墳と共通する点の多い点が注目されます。諫早市湯江善神さん古墳は、人物などとともに壁面全体に斜格子が描かれています。長戸鬼塚古墳は、数隻の船や鯨とともに斜格子文が描かれています。

 これらの古墳群の築造時期は、早い例で6世紀末、下ると7世紀後半とされています。

 

立山古墳の文様

①袖石の連続三角文ー菊池川流域から筑後川流域ー

 石室の装飾に三角文が登場するのは、古墳時代後期の6世紀初頭のことで、その発生には5世紀に流行し、石棺などに描かれた直弧文が大きく影響しているものと考えられます。

 九州で最も早く三角文が使用されるのは、菊水町・塚坊主古墳で、石室の石屋形内に連続三角文が描かれています。この古墳は地域の首長墓で、石屋形の初現である点も注目されます。

 続く6世紀前半には山鹿市・チブサン古墳、玉名市・大坊古墳、うきは市日岡古墳などの首長墳に採用されます。前二者は塚坊主古墳と同じく石屋形に描かれますが、日岡古墳では同心円文とともに石室の壁全面に描かれています。
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古墳名 立山穴観音古墳
住所 福岡県小郡市干潟
築造年代 6世紀末頃
型式 前方後円墳
大きさ 全長33m(後円部径22m、前方部長さ11m)、周溝含めると45m、複室内部全長12.3m
石室 横穴式石室
駐車場 有 
備考