【佐賀県佐賀市】与賀神社
由緒
西暦564年勅願造立、鎌倉・室町時代は与賀御荘鎮守宮。
少弐・高木・竜造寺・鍋島氏の時代は与賀郷の宗廟として崇敬厚く、特に、鍋島氏は佐賀城の鎮守、産土神社として尊信され、数多く寄進されました。現在の御社殿は江戸中期、鍋島六代藩主の造立です。
重要文化財・天然記念物
(国指定)・丹塗り楼門=室町時代後期に、大宰少弐正資公の建立とされ、県内で最も古い建築物の一つです。
(同)・三の鳥居および石橋=四百年余前に藩祖鍋島直茂公夫妻建立
(同)・太刀 一口=銘 康光、六百年前の作、與賀神社伝来の御神刀
(市指定)與賀大明神縁起図=與賀神社御鎮座以来の縁起図(1678年)
(県天然記念物)楠 一株=神殿の南側に位置し、推定樹齢千四百年余
由緒
当社は欽明天皇二十五年(564年)勅願造立され鎌倉時代は与賀御庄の鎮守宮で建暦二年北条義時が社殿を再興、寛元三年執権北条義時が社殿を再興、寛元三年執権北条経時が勅に依り祭祀の礼式を定めたという。永正十年神階正一位の神宣あり、領主、藩主の崇敬厚く寄進多し、旧社格県社
御神徳
豊玉姫命は竜宮城の乙姫様で神武天皇の御祖母にます尊い神様である。安産育児、交通安全、学問武道、殖産開運、鎮護国家の神として信仰あり。
少弐神社由緒
御祭神 少弐政資公
太宰少弐政資公は、戦国時代の文明十年(1478年)所領の佐賀に下り、父教頼の築いた与賀城=現在の龍泰寺一帯=を復してこれに■り、同十四年与賀神社を鬼門の鎮守と崇めて、社殿・楼門を建立した。国の重要文化財である楼門はこの時のものと云われている。
また、与賀郷一帯を開発し、小津の入江を改修して今宿・今津・相応津等の港を開き、法一章五か条の津町の制令を定めて善政を施いた。神社中興、郷土開発の功労者である。明応六年(1497年)多久で自刃す。行年五十七才。本年は没後五百年となる。
楼門
拝殿
本殿
神社名 | 与賀神社 |
住所 | 佐賀県佐賀市与賀町2−50 |
TEL | 0952-23-6091 |
御祭神 | 与止日女大神(豊玉姫命)、八幡、住吉、乙姫、印■、菅原大神 |
創建年 | 564年 |
社格 | 県社 |
建築様式 | |
駐車場 | |
御朱印 |