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【熊本県芦北町】佐敷諏訪神社

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熊本県芦北町の佐敷諏訪神社

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建御名方神は、父神に大国主命、母神に沼河比売命という系譜を持つ、出雲神国の重要な神である。その名は双ぶ者なき剛力で知られ、又、五穀豊穣をつかさどる農耕神、あるいは狩猟神、海陸交通の守護神、さらに武道神などとして篤い御神徳を誇る神様である。当神社は、始めは葦北郡白木村に祀られていた。その後、佐敷村宇土迫の現在地に遷座され、永享十一年(1439)に相良近江守前続公によって再興されている。元文二年(1737)と文化十年(1813)9月の二回にわたる再建が記録され、昭和十四年(1939)春には五百年祭がにぎにぎしく挙行された。

御神紋の「違鎌紋」は、鎌に妹神の下照姫命が移り住むという伝承によるものだが、したがって、鎌の霊験を信仰し、敬う風習が残っている。

また例祭には白木村から蕨粉餅を奉献する慣習がある。これは白木元宮に献納して神がよろこばれ、霊験あらたかだったことから始まったという。なお、例祭日の奉納相撲は、かつては九州一円に評判を呼び、その門前市は年に一度の大市としてにぎわったものである。

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拝殿

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本殿

神社名 佐敷諏訪神社
住所 熊本県葦北郡芦北町花岡5-1
TEL 0966-82-2760
御祭神 建御名方神下照姫神・八坂刀売命
創建年 1439年
社格  
建築様式  
駐車場
御朱印

【宮崎県門川町】門川神社

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宮崎県門川町に鎮座の門川神社

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本社は旧大将軍神社と称せしに、人々の生活を豊かにすべく国土を拓き世の中の幸福を増進すべく人間生活の守護神として、享録三庚寅年(西暦1530年)に勧請したと伝える。

明治三年一村一社の制により宇佐八幡宮の御分霊を祭る門川村一之宮八幡宮を始め、諸社等の合祀により社号を門川神社と改称した。今では神々の御姿が本殿大扉に現れ霊験あらたかな門川の主福神と称して県内外より多くの信仰者を集めている。

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拝殿

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拝殿内の壁画も美しい

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境内からの眺めも良いです

 

神社名 門川神社
住所 宮崎県東臼杵郡門川町大字門川尾末1728番地1
TEL 0982-63-4137
御祭神 宇気母智神、水波龍賣神、大国主命大山祇神、建内宿祢、息長帯姫、品陀和気命市杵島姫命、久々年神、猿田彦神大己貴命、少名彦命、伊弉冊神、軻久突神
創建年 1530年
社格 郷社
建築様式  
駐車場
御朱印

【佐賀県唐津市】鵜殿石仏群

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佐賀県唐津市鵜殿(うど)地区にある鵜殿石仏群に行ってきました。写真は四天王の1人多聞天

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南北朝時代から江戸時代にかけて60体ほどの石仏が彫られたそう

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観音様や大日如来薬師如来など多岐にわたる仏像が存在しています

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戦国時代に彫られた仏像で、近くの上戸城付近から出てきたそうです。

仏像ではなく人間の夫婦像。生前、離れたくない夫婦が想いを込めて彫ったのか……

  

遺跡名 鵜殿石仏群
住所 佐賀県唐津市相知町天徳
TEL  
年代 南北朝時代
指定区分  
駐車場

【佐賀県嬉野市】八天神社

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佐賀県嬉野市の八天神社

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肥前の国の中心なる藤津の里、肥前小富士と称る唐泉山(410m)は、太古の火ノ山、噴火山であり、その山型誠に麗しく神霊鎮まります御山として、山頂に社を営み、神霊の御加護を奉謝し奉った飛鳥時代の中期、白雉四年(西暦653年)を以って、仮に御鎮座の年と定められました。

 鎌倉時代の初期、貞応元年(西暦1222年)山城の国(京都)山崎の産、田村良真が小城晴気に下向し、唐泉山の社を中興し、新に此の地へ下宮を奉斎して唐泉権現・八天狗社として上宮(唐泉山の山頂)下宮の社務を司り、以来その子孫が本光坊と称して、上宮・下宮の宮司家として御奉仕を致しております。

 鎌倉時代より江戸時代、後藤氏・千葉氏・松浦氏を始め肥前国一円の国主・領主・諸氏諸侯・鍋島家に至る迄、諸氏を挙げ、火の神八天狗社を尊崇し、社費の支弁をなされ、又各家より寄進されし広大な神領地を保有し、肥前国一円の人々に火の神様、火防の神様として崇敬され、それぞれの里毎に火の神様・八天狗神の御分霊石祠及び社がまつられて、火の神様への奉謝のまつりが行われてきました。

 江戸時代の前期頃より佐嘉鍋島各家の御屋敷を始め江戸藩邸へ御分霊社の奉斎がなされて以来、江戸町民の人々に毎月・一日・十五日と藩邸内の社へ参拝を許し、火災鎮除・国家安泰・火の用心・家内安全の祈念がなされ、町内会毎に火の神まつり講社の結成が画られて、佐嘉鍋島各家の御屋敷周辺町内の火災事故が非常に少なくなり、この事柄が江戸中に広まり、江戸中期頃より後期にかけ、幕府老中を始め、諸国大名旗本等各家も鍋島家を通じて、肥前の火の神・火防の神八天狗神の御分霊、御勧請がなされ、火の神の御護符数千部を藩役所、及び、商人を介して、毎月江戸へ送達されておりました。

 明治維新・昭和の大戦と社運も大きな変革がありましたが、定まった氏子区域の無い崇敬神社として、旧肥前国一円(佐賀県長崎県)及び福岡県西南部地域の皆様方の御崇敬を賜り、各地に於いて、八天講・火の神まつりが行われ、火の神様火防の神様八天神社として、今日に至っております。

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陸軍大将の一戸 兵衛が揮毫した珍しい鳥居f:id:rekiken9:20190411151449j:image

拝殿

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本殿

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佐賀県重要文化財の石橋と桜の組み合わせが綺麗でした!!

  

神社名 八天神社
住所 佐賀県嬉野市塩田町谷所乙766
TEL 0954-66-4205
御祭神 建速須佐之男大神、火之迦具突智大神
創建年 653年
社格  
建築様式  
駐車場
御朱印