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【北九州市八幡西区】故 R・ニコルソン中尉に捧げる&犬の詩

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故 R・ニコルソン中尉に捧げる

 

 終戦後間もない昭和22年(1947)11月12日、この地の上空を飛行中の合衆国空軍ロドニー・ニコルソン中尉の搭乗機に故障が発生した。彼は、搭乗機が住宅地に墜落するのを避けるため、機外に脱出できたにもかかわらず、最後まで操縦棍を離さず、近くの三菱化成の空き地に墜落して死亡した。地元は、彼の人道的行為を讃え、昭和23年5月、供養碑を建立した。しかしながらこの碑も都市再開発のために昭和63年8月、取り壊しを余儀なくされた。北九州市と三菱化成は、彼の英雄的行為を永遠に讃えるため、彫刻として残すことにし、地元に住む鉄の彫刻家母里聖徳氏に制作を依頼した。

ニコルソン中尉の人道的行為は、この彫刻とともに永遠に市民の心のなかに残るであろう。
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故 R・ニコルソン中尉に捧げる
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「犬の詩」について

 

 この作品はアイロニーレジスタンスの彫刻家と言われる柳原義達氏が繰り返しテーマとしてきたものの一つである。

 シャンソン「犬の詩」-普仏戦争後のフランス人の心の中にあったレジスタンスの思いを、人間にチンチンをして媚びつつも内心で抵抗しようとしている犬にたとえた唄ーをヒントに、占領下の日本人の卑屈さと個人的な災厄に対する抵抗の精神によってもたらされた作品とされている。

 奇妙に膝を湾曲させ、あたかも犬がチンチンをするような風情で片手を前に垂らしつつ、もう片方の手を意味ありげに背後にかくしているこの裸婦像は、人間の卑屈さに対して作者が常にもちつづけている抵抗の心、理知的な批判的精神が鋭く表現された作品である。
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犬の詩

 

【北九州市八幡西区】一宮神社

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北九州市八幡西区鎮座の一宮神社
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 この地方の氏神王子神社、大歳神社、諏訪神社の三社を昭和二十五年六月吉日に合祀し、社号を一宮神社と称します。

 王子神社神武天皇が日向の国より東征の途上、筑前のこのところにおいでになり、一年間政務をみられた宮居の地で境内には、古代祭場等、考古学的にも貴重な跡があります。

 大歳神社は、三代実録や続風土記にも表れている古くて且、由緒深い神社であります。

 諏訪神社は花尾城主麻生氏が信州の諏訪神社を御手洗池のほとりに分祀し、厚く祭られた神社であります。
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王子本宮(神籬磐境)
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神籬磐境

 

 古事記によると、二千年以上の昔、神武天皇(神倭伊波■昆古命)が御東征のみぎりこの地に御滞在され、御自ら天神地祇を招いて安全と隆昌を祈願した古代斎場です。完全に近い姿で残っているのは、考古学的にも貴重で、当社がいかに古代からの社であったかを物語るものです。
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この神籬は記紀に記された神武天皇御東遷のみぎり、この清浄な土地を選び磐境を備け天神地祇を御親祭された神座神処です。此度一宮神社御修築事業に合せこの磐境の復元及び玉垣の新設をなし永く後世に伝えるものなり
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神籬磐境
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拝殿
f:id:rekiken9:20200405074619j:image本殿

 

 

【佐賀県みやき町】白石神社

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白石神社(白石大明神)元村社

 

・直弘公=鍋島本藩初代藩主勝茂公の四男で鍋島本藩の御親類四家の一として寛永十二年(1635)白石邑の邑祖になった人、寛文元年(1661)歿、六代邑主直章によって文政六年(1823)六月当地に社殿を建立し邑祖直弘公を祭神に祀り白石神社と称した。

 

・直■公=白石邑第八代邑主で当時の当地区の窯業の振興に尽すいした。御用窯の築造焼物の品質の改良、研究、保護、奨励に没頭した白石窯業先覚者である。明治十五年(1882)合祀された。

 

・茂安公=はじめ龍造寺隆信の家臣直茂、勝茂には重臣として仕えた戦略家築城家であった。晩年は佐賀藩内の治山治水事業に尽すいし、千栗土居の築堤五反三歩、春日石井樋築造寺偉業は数えきれない。(1560~1633)大正十五年(1926)祭神として合祀された。
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白石神社宝物展示館

 

三月堂形の磁製灯篭で、高さ225㎝、幅60㎝の巨大な作品です。明治18年、伊予国五十崎芳太郎作、宝珠・宝珠台・笠・火袋・中台・さお・台座・基礎台からなっており、龍の象がんなど美術的に焼成された逸品です。
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白石神社磁製灯篭

 

 この磁製灯篭は三月堂形灯篭で全高225㎝、最大幅60㎝の巨大な製品です。

宝珠・宝珠台・笠・火袋・中台・さお・台座・基礎台からなっており、火袋の中に「愛媛県伊予国五十崎芳太郎作、明治十八年十月吉日 協力会社造」という銘があります。

 白石焼は白石鍋島藩の御用窯として「走波焼」を焼成してきましたが、明治四年の廃藩置県により、藩からの窯元援助が途絶えてしまいました。一方、走波焼の窯を守るため、この地に陶工達は作陶焼成の努力を惜しみませんでした。また失禄した武士達も出資して白石銀行・協力会社等を設立し、窯業振興に努めました。

 この作品は、いわゆる「走波焼」ではありませんが、その流れを汲んで製作されたもので、輸出焼と称された協力会社の製品です。当時の彫刻家五十崎芳太郎の製作によるもので、龍の彫刻象嵌の見事な姿勢、各種文様の染付焼成は実に鮮やかな逸品です。白石焼の陶芸史の研究と美術工芸の点から貴重な資料といえます。
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拝殿
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本殿

 

 

【福岡市博多区】今里不動古墳

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今里不動古墳

 

 この古墳は、福岡平野の東南部に位置し、月隈丘陵からのびる小高い丘の上に作られた古墳時代後期(6世紀末~7世紀初頭ー今から約1400年前)の直径34mの円墳です。

 墳丘の中には、死者を葬る両袖型の横穴式石室があります。花崗岩の大きな石を組み合わせて作られたこの石室は、奥室(玄室)の前に前室をもつ複室構造で、このように大kな構造の石室は数少なく、福岡平野でも最大級のものです。

 当時、御笠川中流域を治めた有力豪族のお墓と考えられ、古墳時代社会及び古墳の変遷を知る上で貴重なものです。
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