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【福岡県大野城市】善一田古墳群


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古墳時代後期~終末期(6・7世紀:今から1400年ほど前)の群集墳です。6世紀後半~7世紀後半までの約100年間に造られました。

 

この地で活躍した鉄器づくりの職人や、アジアとの交流で活躍した人々であることが明らかになっています。最も大きなものは丘の一番上にある古墳(18号墳)で、この地域一帯を治めたリーダーの古墳と考えられます。

 

古墳時代(3世紀中頃~7世紀)の大きなお墓のことを「古墳」と呼びます。善一田古墳群で古墳が造られはじめた6世紀の終わり頃は、蘇我氏聖徳太子が活躍した時代です。7世紀後半には、周辺で水城・大野城が築造され大宰府政庁が整備されるなど、古墳時代は終わりを迎えていきます。

 

 7世紀前後の民衆の姿を良好に伝える古墳群です。本物の遺跡を、確かな手応えで、見て、触れて、感じ、語ることができます。

 

大野城のおひざもと

 周辺には100基以上の古墳や、集落の跡(薬師の森遺跡)も見つかっています。665年に築造された古代山城「大野城」にも近く、この地で暮らしていた人々が山城の築造に関わった可能性があります。

 

古墳の分布

 全部で30基の古墳があり、このうち、27基を調査し、9基を現地で保存整備しています。

 

アジアとの交流を物語る出土品

 古代朝鮮半島新羅で作られた土器や西アジア(現在のイラク)で作られたガラス玉などが見つかっています。

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王城山A4号墳

複室(2つの部屋がある)構造の石室がある古墳(徒歩約5分)

 

雉子ヶ尾古墳

巨石を使用した石室がある古墳

 

特別史跡大野城

日本最古(665年築造)の朝鮮式山城(大野城歴史の散歩道登山口より山頂まで徒歩約1時間30分)

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石室の構造

横穴式石室です。遺体を安置する部屋(玄室)と、玄室に通じる通路(羨道)があり、石を積み上げて入口を塞ぎました(閉塞石)。何度でも開閉可能な石室で、複数の遺体を安置することができる構造です。

 

高度な土木技術

 古墳は人工的な盛土(墳丘)と、内部の部屋(石室)からなります。地面を平坦に造成し、石室を据えるための穴を掘った後、石室石材の設置と墳丘盛土を交互に行いながら高く積み上げていきます。最後に天井石をのせて盛土で覆い完成です。天井石は推定5トン以上の重さがあります。石室をのぞいて見ると当時の高度な土木技術を観察することができます。

 

古墳でのお祭り

 古墳の周りからたくさんの土器が見つかることがあり、古墳や埋葬された人に対するお祭り(葬送儀礼や墓前祭祀)があったことが推測できます。多くの食器や貯蔵具・調理具も含むことから、飲食を伴うお祭りであったようです。また、墳丘の中に甕を埋めることが多く、これは古墳を造るときの儀式と考えられます。

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19号墳の裾につくられた7世紀前半の木棺墓です。たくさんの土器が副葬品として納められ、木の棺を設置するための石が並べて置かれていました。築造時期から、18号墳被葬者の2世代ほど後の世代の人が葬られたと考えられます。

 木棺墓の位置を舗装で表現しています。

 

国内最古級のヘラ書き須恵器

 表面に「奈」と記した土器を副葬していました。国内で漢字が普及する以前のもので、当時最先端であった漢字文化の受容を物語ります。「奈」は、福岡平野のことを示す地名「ナ」を意味する可能性の他、人名や氏族名の一部を表現した可能性があります。f:id:rekiken9:20190508142219j:image

14号墳

 

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16号墳

ー排水溝がある古墳ー

【かたち・大きさ】円形・11m

【つくられた時代】7世紀はじめごろ

【埋葬する部屋】横穴式石室

【見つかったもの】鉄のやじり・耳飾り

 

石室の床面に排水溝があります。石室の床面に排水溝があります。石室は完全な形で残っています。

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石室が完全な形で残る16号墳

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17号墳

ー刀を持つ人の古墳ー

【かたち・大きさ】円形・9m

【つくられた時代】7世紀前半

【埋葬する部屋】横穴式石室

【見つかったもの】鉄の刀

 

石室の入口を塞いだ石を調査時のまま残しています。

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閉塞石

石室の入口を塞ぐために積み上げた石です。発掘調査した時のまま展示しています。

中には入らずにここから見学してください

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18号墳

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地域のランドマーク(18号墳)

築造時期:6世紀後半(善一田古墳群で最初の古墳)

かたち:円墳(二段築成=横からみると麦わら帽子の形)

大きさ:東西26m、南北22m

(6世紀後半の福岡平野で最大級の円墳)

古墳内部:横穴式石室(玄室の高さ3.5m)

副葬品:刀、弓矢、靫・胡簶(矢を入れる容器)、馬具、鉄■(鉄器づくりの道具)、装身具

 

地域のリーダーの古墳

 墳丘・石室の大きさや豊富な副葬品から、この地域一帯を治めたリーダーの古墳と考えられます。副葬品は武器類が多いため武人的な性格がイメージでき、鉄■(鉄器づくりの道具)の存在から職人たちの親方のような性格もうかがえます。

 

石室入口の左側で複数の土器が出土しました。食器類、特に液体に関わるものが多く、古墳の前で飲食を伴う儀式があったと考えられます。

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古墳群から望む大野城市

 

古墳名 善一田古墳群
住所 福岡県大野城市乙金東1丁目9
築造年代 古墳時代終末期
型式 円墳
主体部 横穴式石室
墳丘大きさ 11m(16号墳)、9m(17号墳)、東西26m、南北22m(18号墳)
石室大きさ 玄室の高さ3.5m(18号墳)
指定区分  
駐車場
備考 トイレもある