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【宮崎県日南市】吾平津神社

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宮崎県日南市鎮座の吾平津神社
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アヒラツヒメ(吾平津媛

吾平津神社の御祭神・アヒラツヒメは、吾田の小崎の君の娘として生まれ、十五才で皇太子となったカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)と結婚し、子供(手研耳命)にも恵まれ、幸せな暮らしを送っていた。やがてカムヤマトイワレヒコは、よりよく国を治めるために兄等と相談され、日向の美々津から東に向けて旅立つが、吾平津媛は同行されず、この地よりその成功をお祈りしたという。


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当社は元明天皇の御代の和銅二年(709年)の創建にて、乙姫大明神と称して、江戸時代、飫肥十一社の一つとして歴代の藩主の崇敬篤く、明治維新に際し伊藤裕帰知事の意により吾平津神社と改称され、昭和八年郷社となる境内に御門神社二社があり櫛磐間戸命、豊磐間戸命の二柱の神をお祭りしてあります。

 その外に境内末社として、祖霊社、又豊漁及び商売繫盛の霊験あらたかな乙姫稲荷神社が鎮座されています。

主祭神の「吾平津昆売命」は宮崎神宮の御祭神「神武天皇」挟野尊と称され、また日向に在られた頃の妃であり「古事記」によれば、お二人の間には「多藝志美々命」、「岐須美々命」二人の皇子ありとあり、又、「日本書紀」によれば「手研耳命」お一人の皇子ありとある。神武天皇が皇子や郡臣と共に日向を立て大和朝廷をおこすために東遷された時、「吾平津昆売命」は同行されず、当地に残られ、この油津より御東遷の御成功と道中の安全をお祈りされました。

 この故事により、当神社は交通安全、商売繁盛、諸祈願成就の神様として篤く信仰されています。


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拝殿
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本殿

 

神社名 吾平津神社
住所 宮崎県日南市材木町9−10
TEL 0987-22-2863
御祭神 吾平津昆売命、天照大御神武甕槌命倉稲魂命天児屋根命木花咲耶姫命経津主命
創建年 709年
社格 郷社
建築様式 神明造
駐車場
御朱印