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【福岡市東区】志賀海神社

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福岡市東区鎮座の志賀海神社
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志賀海神社文化財

 志賀海神社綿津見三神を祭り、古来より海の守護神として信仰されてきました。海上交通の要所である玄界灘を臨む博多湾の入口に鎮座し、海人部の伴造として著名な阿曇族に奉祀されました。大同元年(806)には阿曇神に神封八戸が与えられ、貞観元年(859)には志賀海神に従五位上、また元慶4年(880)には賀津万神(志賀島勝馬の祭神)に従五位下の神階が授けられています。平安時代の『小右記』には志賀海神社社司の対宋交通が記され、中・近世には大内氏、小早川氏、黒田氏の加護を受けていたことが当社に伝えられた文書(福岡市指定文化財)によってわかります。

 社蔵の鍍金鐘(国指定重要文化財)は高麗時代後期の特色がよく表われ、境内の完存する石造宝篋印塔(福岡県指定文化財)は銘文から貞和三年(北朝年号1347年)に造立の時期が考えられます。

 この神社の神事のうち、1月中旬に厄疫退散と五穀豊穣、豊漁の意味を兼ねて行われる「歩射祭」、4月15日と11月15日の春秋に神功皇后伝説にちなんで狩漁を演じる「山ほめ祭」、10月初旬の夜間に遷幸・遷御と芸能が奉納される「神幸行事」はいずれも福岡県の無形民俗文化財に指定されています。
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石造宝篋印塔

 宝篋印塔はもともと過去・現在・未来の幸福を願った仏典(宝篋印塔陀羅尼経)を納めた塔で、わが国では石塔婆の形式の名称となっています。

 志賀海神社のこの石造宝篋印塔は花崗岩を用い、高さは334・5㎝です。上部に反花座のある基礎、立方体の塔身、二孤式馬耳形の隅飾りをもつ笠、その上の相輪の四石からなり、塔身の四方には文殊、宝生、阿弥陀、不空成就の四仏の梵字を、また基礎には二面にわたり造立者と貞和三年(1347)の造立年を刻んでいます。

 完存する宝篋印塔としては県内最古であり、その清楚な姿からしても、福岡県を代表する石造物のひとつです。
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石造宝篋印塔
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亀石 遥拝所

 その昔、神功皇后三韓へ出兵される際、正面対岸の打昇浜にある亀ヶ池・亀栖池の辺りにて無事凱旋できるよう阿曇磯良丸を通じ祈願され、七日七夜のお神薬を奉されましたすると黄金雌雄の亀に乗った志賀明神と勝馬明神が御出現され皇后へ干珠・満珠の玉を授け、船の舵と航路を守り導くと伝えられ黄金雌雄の亀は亀ヶ池・亀栖池に放たれましたが、後に石となって現在の金印公園近くに現れ、寛文十年(1671)四月十一日に社前に納められました。

遥拝所は右斜め対岸の大嶽神社・小嶽神社と正面真東の伊勢の神宮宮中三殿等を拝します。
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亀石
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摂社
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末社 磯崎社

御祭神 少彦名神大己貴神
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鹿角堂
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摂社 今宮神社

御祭神 宇都志日金折命、住吉三神天児屋根命阿曇磯良丸命をはじめとする神裔阿曇諸神

 

御由緒

 『古事記』に「此の三柱の綿津見神は阿曇連等が祖神ともちいつく神なり。かれ、阿曇連等は、その綿津見の神の子、宇都志日金折命の子孫など」と記され、綿津見三神を奉祭するのは、宇都志日金折命の子孫である阿曇家となっている当社は代々阿曇家が宮司を奉職しており、阿曇家の祖神である宇都志日金折命は綿津見三神に仕える者の祖神として奉祀されている。また、神功皇后三韓出兵の際に出現された阿曇磯良丸命は当地、龍宮より干珠満珠を借り賜って海上指揮に仕えたと伝えられる。
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今宮神社

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志賀海神社

 

 祭神は、底津綿見神・仲津綿津見神表津綿津見神。海神の総本社と称えられる当社は、海上守護の神として『万葉集』にも詠われ、古来より信仰されています。毎年1月2日には古式神事「歩射祭」が始まり、近年では1月15日に近い日曜日に、8人の射手が神社参道に立てられた大的を弓で射る「歩射」がおこなわれています。また、神幸行事の他、春と秋の「山ほめ祭」も県の文化財に指定されています。境内には、鹿の角1万本をおさめた鹿角堂・万葉歌碑などがあります。
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志賀海神社 略記

 古来、玄界灘に臨む交通の要所として聖域視されていた志賀島に鎮座し、「龍の都」「海神の総本社」と称えられ、海の守護神として篤く信仰されている。

 御祭神は、伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原において禊祓(ミソギハラヒ)をされた際に、住吉三神と共に御出現された綿津見三神で、神裔阿曇族によって奉斎されている。

 御祭神が、禊祓で御出現された神であることから不浄を特に嫌い、諸々の穢・厄・災・罪を祓い清め、また、海の主宰神であることから水と塩を支配し、私達の生活の豊凶をも左右する御神域を顕現されている。

 当社の創建は明らかではないが、古来、勝馬の地に表津宮・中津宮沖津宮の三社で奉斎されていた。二世紀(遅くとも四世紀)に表津宮(底津綿津見神)が当地勝山に遷座、併せて仲津綿津見神表津綿津見神が奉祀されたと伝えられている。

 往時の社殿は壮麗で、末社三七五社、社領五十石を有し、奉仕する者も百数十名いたなど繁栄を極めた。社伝には神功皇后の伝説を多く残し、元寇の役など国家の非常の際に赫々たる御神威を顕示されたことから、社格貞観元年(859年)従五位上延喜式』には明神大社、大正十五年(1927年)には官幣小社の殊遇をうけている。
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拝殿
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本殿
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志賀海神社境内から臨む玄界灘

 

神社名 志賀海神社
住所 福岡県福岡市東区大字志賀島877
TEL 092-603-6501
御祭神 仲津綿津見神底津綿津見神表津綿津見神
創建年 2世紀~4世紀
社格 延喜式神大社、官幣小社
建築様式  
駐車場 有 
御朱印