【宮崎県日南市】駒宮神社
宮崎県日南市鎮座の駒宮神社
駒宮神社の由緒
駒宮神社は、人皇第一代神武天皇を御祭神を仰ぐ由緒の深いお宮で第四十一代文武天皇の御代に創建されたと伝えられています。また神武天皇は吾平津姫をお妃に迎えられ愛馬龍石号を友にこの地に住まわれた少宮趾ともいわれています。
古跡(御鉾の窟、御手洗池、天皇の井戸、神宮寺跡)
駒繁松跡、当神社東方道路沿いにあり。海辺にて釣をなされた折、白髪の老人から龍馬を与えられ、その馬に龍石と命名の愛馬で鵜戸の父君にお会に行かれる都度、この松に繋がれたと伝えられる。草履石、駒形石、当神社東方道路下にあり、天皇のお草履の跡、愛馬龍石の足跡という。
立石の牧 神社より北へ四キロ国道沿いの山上に跡あり。天皇宮崎の宮居に向かわれるとき、愛馬龍石を草原に放ちになり、その縁りで字名を立石という。それよりこの地牧場となり、日本最古の牧場といわれる。立石の牧と称し江戸時代には牧奉行が置かれた。その駒追には必ず駒宮に参ることになり、一般もこれにならい例祭日には各地からシャンシャン馬が参拝した。この行事も昭和十三年ごろまで続いていたが、このたび駒宮神社シャンシャン馬保存会により復活保存することとなった。
日向シャンシャン馬
「日向シャンシャン馬発祥の地」
当社境内は初代天皇、神武様のご幼時の少宮趾と伝えられている。
日向国神祇史によると鵜戸神宮の縁起に関連して「駒宮アリ、神武天皇ガ舟ツリヲサレシ折、龍神カラ賜ツタ龍石トイフ龍馬ヲ祀ル。折々鵜戸の父君ノモトニ通ヒ給ヒシ時ノ駒繁ノ松趾、駒形石アト古跡ガアル」と記されている。
また天皇がこの地をあとに宮崎の宮殿に向かわれた時、途中宮崎へ四キロ、現在の「立石」の地に愛馬龍石号を放たれたという立石は、龍石号の名が立石の地名になったもので、その後、牧奉行が置かれ駒追の際には必ず駒宮に参る風習から、例祭には近郷の多くの農耕馬が馬鈴をつけ着飾り、馬踊りの奉納や馬の競り売り等で賑わいを極めシャンシャン馬の姿が誕生した。
この歴史を後世に伝える為に、龍石号を偲びこの度奉納されたものである。
古跡 御鉾の窟
駒宮神社境内地は往古人皇第一代 神日本磐余彦天皇(神武天皇)がお若い頃のお住まいとされた少宮趾と伝えられている。日本書紀巻第三によると「年十五にして、立ちて太子となりたまふ。長りたまひて日向国の吾田邑(現在の日南市吾田)の吾平津媛をまきて妃としたまふ。手研耳命を生みたまふ。」と記されている。
右側の山は長田山と云われ、石段上に巨岩がある。神社由緒記によると「神社ノ後方ニ大岩有リ。天皇後ニ宮崎ノ宮ニ向ヒ玉フ時、此ノ岩ノ下ニ御鉾ヲ納メ玉フト伝フ。旧時御神体トシテ奉祀サレシモノト伝フ。」と記されており、紀元二千六百年には記念事業の一つとして玉垣を廻らして石段を整備して面目を一新した。
御鉾の窟
拝殿
本殿
神社名 | 駒宮神社 |
住所 | 宮崎県日南市平山1095 |
TEL | 0987-23-8520 |
御祭神 | 神武天皇 |
創建年 | 697~707年 |
社格 | |
建築様式 | |
駐車場 | 有 |
御朱印 | 有 |