【山口県下関市】忌宮神社
忌宮神社 由緒
忌宮神社は、第十四代仲哀天皇が九州の熊襲を平定のため御西下、この地に皇居豊浦宮を興して七年間政治を行われた旧趾で、天皇が筑紫の香椎で崩御せられたのち御神霊を鎮祭す。その後聖武天皇の御代に神功皇后を奉斎して忌宮と称し、さらに応神天皇をお祀りして豊明宮と称す三殿別立の古社(延喜式内社)であったが、中世における火災の際、中殿忌宮に合祀して一殿となり、忌宮をもって総称するようになった。忌とは斎と同義語で、特に清浄にして神霊を奉斎する意味である。現在の社殿は明治十年の造営で、昭和五十六年に改修す。
古来、文武の神として歴朝の尊崇武将の崇敬篤く、安産の神として庶民の信仰を受け、長門の国二ノ宮として広く親しまれている。
御斎神事
十二月七日より十五日早朝まで斎行される特殊神事で境内周辺に注連縄を張って一般の進入を禁じ、神職のみ参籠して厳格な潔斎を行い、古式による秘祭を奉仕する。
楼門
本殿
神社名 | 忌宮神社 |
住所 | 山口県下関市長府宮の内町1−18 |
TEL | |
御祭神 | 仲哀天皇、神功皇后、応神天皇 |
創建年 | |
社格 | 長門国二ノ宮、国弊社 |
建築様式 | |
駐車場 | |
御朱印 |