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歴史好きの歴史好きによる歴史好きの為のブログ

山口県

【山口県下関市】若宮古墳

若宮古墳 この古墳は、綾羅木郷遺跡北西隅近くに位置を占める南西向きの前方後円墳です。 墳丘は、後円部が3段、前方部が2段に築かれています。 墳丘の表面は葺石で覆われ、墳頂や段には円筒埴輪や壺形埴輪が並べられていました。 後円部中央には、白色の粘…

【山口県下関市】綾羅木郷遺跡

史跡 綾羅木郷遺跡 史跡綾羅木郷遺跡は、綾羅木平野北側の洪積台地先端に位置する、弥生時代の集落と古墳時代の埋葬跡を主とした遺跡です。明治32~33年(1899~1900)頃発見され、昭和31~34(1956~1959)に数度にわたり調査が行われました。その後、昭…

【山口県下関市】岩谷古墳

岩谷古墳(6世紀後半) 岩谷古墳は、6世紀後半頃に下関氏椋野町岩谷後に作られたお墓です。昭和45年(1970)に、中国自動車縦貫道が建設されることになり、山口県教育委員会が発掘調査を行い、下関市立図書館に移築され、下関市立考古博物館に再移築され…

【山口県下関市】下関市立考古博物館

綾羅木平野の古墳 下関と周辺の前方後円墳 ー下関の古墳時代ー 4世紀になると、政治的にもいよいよ大きな力をもつ有力者が現れました。 そしてこの有力者が死ぬと、丘の上などに人工の丘の墓を作りました。お墓の中でとくに立派なものは、上から見おろすと瓢…

【山口県下関市】中山神社

山口県下関市鎮座の中山神社 「さざれ石」 学名 石灰質角礫岩 岐阜県指定天然記念物 わが君は千代に八千代にさざれ石の いわおとなりてこけのむすまで この歌は今から約千有余年前の古今集の古歌で藤原石位左衛門の作と判り、上一句を替えて国家君が代の原歌…

【山口県下関市】龍王神社

山口県下関市鎮座の龍王神社 龍王神社樹林 龍王神社の樹林は、イチイガシを優占種とし、これにタイミンタチバナを中心とした亜高木層、ヤブツバキ、クロキなどの低木層及びテイカカズラ、ツルコウジなどの草本層で構成されている。 本樹林は、暖帯林の極盛相…

【山口県下関市】富任八幡宮

山口県下関市鎮座の富任八幡宮 拝殿 本殿 神社名 富任八幡宮 住所 山口県下関市富任町8丁目11−10 TEL 083-258-0484 御祭神 創建年 社格 建築様式 駐車場 有 御朱印

【山口県下関市】安岡八幡宮

山口県下関市鎮座の安岡八幡宮 安岡八幡宮 遠く平安時代末の寿永年間(1182~)平家追討使源範頼が、鶴岡八幡宮の分霊を安岡浜に奉斎し祈願した。この社を当初は安岡浜宮と称していたが、当地方一八箇村の総鎮守となり、氏子崇敬者の尊崇を集めた。江戸時代…

【山口県下関市】宮山古墳

宮山古墳 ・時期 古墳時代後期(6世紀後半) ・発掘 明治42年(1909年)社地拡張工事にて石室開口した。 ・出土 勾玉3個、鉄製物(剣類?)銅製品、土器類等、勾玉等、当特宮総代保管するも不明 尚、当古墳は旧市内唯一の前方後円墳にて往時は此の一帯(旧市…

【山口県下関市】生野神社

山口県下関市鎮座の生野神社 当神社拝殿は明治初期、風雨にて壊れた社殿を明治七年に百戸余りの僅かな氏子にて再建する。古来の素朴な氏神様の社殿を今に伝う。社殿内天井には三十六枚の天井画、花鳥画が鮮明に描かれている。(奥本殿は江戸後期作)大切な地…

【山口県下関市】彦島八幡宮

山口県下関市鎮座の彦島八幡宮 彦島八幡宮略記 当八幡宮は平治元年十一月本島開拓の主祖河野通次(人皇五十一代平城天皇の子孫三位中将大江政房の嫡子豫州伊予の国勝山城主で後白河天皇の御代保元の乱に敗退一党を率い、保元二年来島自ら祭主となり宇佐神宮…

【山口県下関市】乃木神社

山口県下関市鎮座の乃木神社 乃木神社創建 大正元年十二月有志相謀って乃木記念会を発足、追慕の念益々高揚し神社創建の儀が起り広く有志の協力を得て、大正八年十二月竣工、昭和天皇裕仁親王殿下御来閲、各皇族の御参拝十余回に及ぶ 御神徳 乃木将軍の生涯…

【山口県下関市】東行庵

山口県下関市の東行庵 東行庵 この地は清水山と称し幕末の頃奇兵隊軍監山縣狂介(有朋)は麓に草庵を建て無隣庵と名付けていた。慶應三年(1867)四月、高杉晋作(東行)の遺言により遺骸を奇兵隊の本拠に近いこの地に葬った。晋作に仕えていた愛人うの(後…

【山口県下関市】功山寺

山口県下関市の功山寺 市文化財 功山寺輪蔵 功山寺境内に経つ土蔵造りのこの建物は輪蔵(経蔵)と呼ばれ、五・四五メートル(三間)四方、面積二九・七平方メートル、屋根は宝形造り桟瓦葺で、中央尖部瓦の露盤には、蓮弁様縁取枠内に一文字三つ星の毛利家紋…

【山口県下関市】忌宮神社

山口県下関市鎮座の忌宮神社 忌宮神社 由緒 忌宮神社は、第十四代仲哀天皇が九州の熊襲を平定のため御西下、この地に皇居豊浦宮を興して七年間政治を行われた旧趾で、天皇が筑紫の香椎で崩御せられたのち御神霊を鎮祭す。その後聖武天皇の御代に神功皇后を奉…

【山口県山口市】龍福寺

山口県山口市の龍福寺 龍福寺は、もとは白石(山口市白石)の地にありましたが、天文二十年(1551)に兵火にかかり、そのままになっていたものを弘治三年(1557)毛利隆元が大内義隆の菩提を弔うためにこの地に再興しました。 明治十四年(1881)、龍福寺は…

【山口県下関市】赤間神宮

山口県下関市鎮座の赤間神宮 寿永四(1185)年三月二十四日源平檀浦合戦に入水せられた御八歳なる御幼帝をまつる天皇社にして下関の古名なる赤間関に因みて赤間神宮と宣下せらる。昭和二十年七月二日戦災に全焼せるも同四十年四月二十四日御復興を完成し同五…

【山口県岩国市】岩国白蛇神社

国指定 天然記念物 「岩国のシロヘビ」 説明 天然記念物「岩国のシロヘビ」は、岩国市にだけ生息している世界でも珍しいヘビで、商売繫盛・開運の守神様などと言い伝えられております。 ヘビの白色変種が、安定した遺伝形質を維持して特定の地域に集中的に生…

【山口県岩国市】白崎八幡宮

山口県岩国市鎮座の白崎八幡宮 白崎八幡宮は、建長二年(1250・鎌倉中期)に、時の領主の清縄左衛門尉良兼(今地氏遠祖)が、氏族の繁栄と領内安民守護の神として、今津琵琶首に創建奉斎された事にはじまります。後約百年を経て貞和四年(1348)に良兼の子息…

【山口県岩国市】岩国護国神社

山口県岩国市鎮座の岩国護国神社 岩国護国神社 由緒 当神社は旧岩国藩主吉川経幹公が維新前後の戦役に薨れられたる二十二名の御霊をお慰めする為、明治元年秋関所山に社殿を造営し毎年祭典が挙行されたのに起源する。 爾来、西南・日清・日露・大東亜戦争な…

【山口県岩国市】椎尾八幡宮

山口県岩国市鎮座の椎尾八幡宮 椎尾八幡宮略縁起 当宮は後水尾天皇の寛永三年(1626)に、時の岩国二代藩主吉川美濃守廣正公が、吉川歴朝の守護神である駿河八幡宮(この駿河八幡宮は、吉川氏の始祖、経義公が、その昔、駿河国有度郡吉河邑(今の静岡県清水…

【山口県岩国市】西岩国駅

西岩国駅の由来 昭和四年四月十五日 岩徳線の一部、麻里布ー岩国町間が開通して、岩国駅として開業しました。昭和九年十二月一日には岩徳線が全通して山陽本線となり、当時が当駅全盛時代で、錦帯橋を中心とした観光客は殆ど当駅を利用していました。駅舎は…

【山口県下関市】櫻山神社

山口県下関市鎮座の櫻山神社 七卿史跡 維新回天発祥地 櫻山招魂場を視察 文久三年(1863)八月十八日の政変により三条実美卿等七卿は京都妙法院をあとに西下長州に向かう 翌元治元年三月二十六日、六卿は馬関砲台を巡視発程の途上錦小路は病を発し二十九日彦…

【山口県下関市】嚴島神社

山口県下関市鎮座の嚴島神社 厳島神社の三柱の御祭神は畏くも皇祖天照大神の御子神であらせられ(厳島神社記録帳)によると安芸国厳島神社の御分霊を平家の守護神として安徳天皇の御座船におまつりされていたが、壇ノ浦の合戦後、この近くの磯辺に放棄されて…

【山口県下関市】大歳神社

山口県下関市鎮座の大歳神社 寿永四年(1185年)、平家追討の任務を受けた源義経は、壇ノ浦の合戦に望んで武運の守護神と仰ぐ富士浅間の大神の御神助を請い、平家が布陣を整える彦島を望む有明山(JR下関駅東口付近)に小松を植え、篝火を焚き、二日二夜(七…

【山口県下関市】福徳稲荷神社

山口県下関市鎮座の福徳稲荷神社 谷嶽・谷森・谷川稲荷の三社に本社の御祭神の御分霊をお祀りしてあります。又近い時に縁組稲荷社を造営し、良縁を祈る参詣者をお迎えしています。 前述三社には幼児の病気平癒或いは大漁・航海安全、又商売繫盛等ご利益霊験…

【山口県長門市】元乃隅稲荷神社

山口県長門市鎮座の元乃隅稲成神社 龍宮の潮吹とは、打ち寄せる波が海面近くの、わずか縦1m、幅20㎝の穴に突入し、上方に海水を噴出させる噴潮現象のことです。北よりの風が吹き海が荒れると潮が上がり、気象条件が揃うと海水を最大30mも吹き上げることもあ…

【山口県長門市】八阪神社

山口県長門市鎮座の八阪神社 八阪神社は人皇四十四代元正天皇霊亀年中吉備大臣遣唐の砌、御祭神の加護により恙なく帰朝の時、船を仙崎港に繋ぎ遺跡を探聞し大いに神徳の著しきを感嘆され、帰京の後、聖武帝吉備公を遺し天平三年三月尊神廟を仙崎王子山の総頂…

【山口県山口市】徳佐八幡宮

山口県山口市鎮座の徳佐八幡宮 徳佐八幡宮の由緒 当時、周防の豪族であった大内満盛公が寿永元年(1182年)八月十七日本宮、宇佐八幡宮から九山に勧請。中殿に八幡大神、右殿に宗像三神、左殿に祓神と医薬神を奉鎮 中世火災により小南に鎮座、延宝七年(1679…

【山口県山口市】山口県護国神社

山口県山口市鎮座の山口県護国神社 御由緒 当社は日本近代の国難に殉じた山口県出身の御霊を祭るため昭和十六年に山口県下一円が崇敬者となって現社地に創建されました。嘉永六年(1853)のペリー提督率いるアメリカ軍艦の伊豆・下田への来航以降、多くの国…