【山口県山口市】山口県護国神社
御由緒
当社は日本近代の国難に殉じた山口県出身の御霊を祭るため昭和十六年に山口県下一円が崇敬者となって現社地に創建されました。嘉永六年(1853)のペリー提督率いるアメリカ軍艦の伊豆・下田への来航以降、多くの国事・事変・戦争で一身を国家に捧げられた山口県出身52000余柱の御霊をお祀りしています。また今日では国家・社会の守護、更には家庭・家族の安全を祈念する県下全域の崇敬を集めています。
戦争裁判殉国烈士之碑由来記
昭和十六年十二月に起こった大東亜戦争は、日本が民族の興亡とアジア諸民族の独立自存の戦いでありましたが、激闘三年有余のすえ昭和二十年八月ついに無条件降伏の止むなきに至りました。この結果、連合国は戦争の責任を問うという名のもとに、戦争史上かつて例を見ない軍事裁判を強行しました。このため多くの人々が無実、または誤認のまま罪なき罪を負わされて、家郷を遥かな異国の地で、祖国日本の再建を信じ、愛する肉親の幸せを念じながら刑場の露と消えられました。
まことに痛ましい限りで、実に今次戦争のなかでも類例のない犠牲者であります。
この碑は、こうした殉国烈士のうち、本県出身三十三柱の御霊の永遠に鎮まりますことをお祈りするとともに、その遺徳を顕彰して永く後世に伝えるため、山口県世話人会が中心となって、昭和三十二年十一月十日、広く県民各位の暖かいご協力と、浄財をもって建立されたものであります。
殉国烈士の碑
拝殿
神社名 | 山口県護国神社 |
住所 | 山口県山口市平野2丁目2−1 |
TEL | |
御祭神 | |
創建年 | 1941年 |
社格 | |
建築様式 | |
駐車場 | |
御朱印 |