【北九州市八幡東区】仲宿八幡宮
今を去る事一八〇〇年余の往昔、第十四代仲哀天皇の御后、神功皇后は筑紫の香椎の宮でお幽れなされし天皇の御代わりに皇子(後の応神天皇)を御腹にみごもられ乍らも軍臣の動揺を考えられ、天皇崩御の御事を秘匿し、男装をして三軍を率いて九州騒乱の源、新羅征伐に出征せられたり。この間北九州を中心に動き給い、苦節の末三韓を従え給ふ。ここに神告ありて「三韓を従えども行先謀反の者あり、厚く慎み給へ」と。然るに現当宮の地に中やとりし給いて豊山の宮を造らしめ給い、皇后自ら仲宿にて忌み慎み齋籠し給いて、豊山の宮共々に御帰■の後、この仲宿の地の祭祀を行い■りし祭場に、村人等祠を建立し、産土神とし奉り、幾度となく社を増改築、殊に大内氏、麻生氏、近世に至りては黒田氏の崇敬厚く今日に至り、現社殿は昭和三十六年に御改築す。
拝殿
本殿
神社名 | 仲宿八幡宮 |
住所 | 福岡県北九州市八幡東区祇園2丁目5−1 |
TEL | 093-671-6555 |
御祭神 | 仲哀天皇、応神天皇、神功皇后 |
創建年 | 神代 |
社格 | |
建築様式 | |
駐車場 | 有 |
御朱印 | 有 |