【福岡県糸島市】鎮懐石八幡宮
由緒
鎮懐石八幡宮御實記を始め、古事記、萬葉集の鎮懐石を詠める歌、などによると、神功皇后(息長足日女命)は応神天皇を懐妊しながらこの地を通って、朝鮮半島へ兵を出された時に、卵型の美しい二個の石を求めて肌身に抱き、鎮懐として出産の延期を祈られたのであった。願は叶って帰国後宇美の里で、応神帝をご安産された。
そこで、神功皇后が経尺の壁石を、子負ヶ原の兵上にお手ずから排納されてより、世人は鎮懐石と称してその奇魂を崇拝するようになった。
昔は、深江字津の上の石垣で築かれた高台に、ご社殿があり、数百年の年輪を刻んだ大きな松の木々が鬱蒼と生い茂っていたが、場所が狭く祭典にも不便を来していたので、昭和十一年(1936)に南側山手の、字萩ノ原の広い土地に御遷座し、幣殿、拝殿などを新築した。
拝殿の床板は、85㎝を超える幅の広い松板が使われており、当時この周辺にも大きな松の木々が多かったことを物語っている。
古い歴史の重みを感じさせる大きな松の木も、昭和二五年(1950)頃から、松食虫の被害が広がり伐採されて寂しくなった。
萬葉歌碑
安政六年(1859)六月に建てられた九州最古の萬葉歌碑で、書は、豊前中津藩の深江在住の儒学者、日巡武澄である。
鎮懐石碑
文化十一年(1814)に建てられた碑で、鎮座の由来を書いている。文は亀井南冥の高弟、■州江上源伯、書は、福岡藩の藩医であった、米山上村■という人である。
鎮懐石萬葉歌碑
この歌碑は、安政六年(1859)六月に建てられた九州最古の萬葉歌碑である。
署は、深江在住の豊前中津藩儒学者日巡武澄によるもので、流麗な書体は美術的にも価値が高いものとされている。碑面は、萬葉集巻五所載の鎮懐石を詠じた山上憶良の作と伝えられる歌詞題詞を刻んだものである。
山上憶良は聖武天皇の御代神亀三年(726)筑前の国守に任ぜられ、九州に赴任した時に筑前蓑島の住人建部牛麿から鎮懐石伝説を聞き、長歌および反歌に詠じて、その題詞に鎮懐石の形状、所在地、並びにその縁起を述べている。
長歌の「深江駅家」の位置については、平成八年から九年にかけて二丈町教育委員会が行った文化財調査によって、塚田南遺跡(町指定史跡)から官道と大型建物群跡などが発掘され、これが深江駅家であるとされている。
平成十一年に町の塚田南遺跡萬葉公園として保存整備された。
あめつちの ともにひさしく いいつげと このくしみたま しかしけらしも
萬葉歌碑
鎮懐石碑
拝殿
本殿
神社名 | 鎮懐石八幡宮 |
住所 | 福岡県糸島市二丈深江2143−1 |
TEL | |
御祭神 | 神功皇后、応神天皇、武内宿祢 |
創建年 | |
社格 | |
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駐車場 | |
御朱印 |