【大分県大分市】春日神社
敬神生活の綱領
神道は天地悠久の大道であって崇高なる精神を培い太平を開くの基である。神慮を畏み祖訓をつぎいよいよ道の精華を発揮し人類の福祉を増進するは使命を達成する所以である。ここにこの綱領をかかげて、向かうところを明らかにし実践につとめて以て大道を宣揚することを期する。
- 神の恵みと祖先の恩とに感謝し明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと
- 世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
- 大御心をいただきて、むつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること
春日神社略記
天平年、中市川葉が南都三笠山より勧請し奉ったとも又清和天皇の御宇、貞観二年三月国司藤原朝臣世■が勅を奉じて奈良の春日大社の四所大神を勧請したとも伝えられ一千一、二百年余の歴史を有する古社である。建久七年大友能直が当国に封ぜられてより二十二代三百五十八年間居城府内の総廟として厚く崇敬し特に二代親秀は社領八十貫を奉献する等歴代の守護職、藩主等は年々の祭祀料は申すまでもなくしばしば社領を奉り、又社殿の修復を行ってきた。因に大友親秀の奉献した社領菖無田、忌垣田、相撲田は今尚小字名などとなって語り伝えられている。慶長十二年藩主竹中重利は江戸参勤の帰途、播磨灘に於いて暴風雨のため危機にさらされたが遥かに春日宮に祈請して無事に帰還し得たので境内に松拾万本を植えて奉斎した当時の広大なりし境域を偲ぶことができる。
当社は創祀以来二度戦災のために社殿はことごとく燃上し又貴重なる社宝、記録等をも亡失した。第一回は天正十二年島津軍の府内入城の際であり、次は昭和二十年七月大東亜戦争の末期、アメリカ空軍の焼夷爆撃によるものである。
現社殿は氏子崇敬者の浄財、寄付金等を以て再建し、昭和四十二年十月十八日遷座祭を斎行した。尚当社は旧県社であったが昭和四十三年七月一日別表神社に昇格した。
楼門
拝殿
本殿
神社名 | 春日神社 |
住所 | 大分県大分市勢家町4丁目6−6−87 |
TEL | 097-532-5638 |
御祭神 | 武甕槌命、経津主命、天津児屋根命、姫大神 |
創建年 | 861年 |
社格 | 県社、別表神社 |
建築様式 | |
駐車場 | |
御朱印 |