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【中国観音霊場】8番札所 明王院

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広島県福山市明王院
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国宝 明王院五重塔

 

国宝指定 昭和28年3月31日

 

創建 南北朝時代の貞和4年(1348年)

相輪伏鉢の陰刻銘に「貞和四年戊子十二月十八日」に「沙門頼秀」が「一文勧進の小資を積」んで建立したとある。

 

様式 和様の形態をよく残した 南北朝時代を代表する建物

 

外部構造 東面して建つ桁行3間、梁間3間、本瓦葺、総円柱の五重の塔婆。総高29.14m。各重とも、四面中央に両開き板扉、その両脇に連子窓をもうけ、擬宝珠高欄付きの四方縁が巡る。隅木下端には風鐸が付く。相輪はすべて青銅製で、九輪と水煙の四方に風鐸が懸かる。

 

内部形式 心柱は八角作り三本継で、初重天井の大梁上から延びる。各重とも組入天井に拭板敷の床で、初重内部は極彩色壁画と装飾文様で彩られる。来迎柱間に廻縁付き来迎板壁を設け、その前に和様の漆塗り仏壇を設置する。

 

本尊 木造大日如来坐像で南北朝時代の作。室町時代末期作の木造不動明王坐像・木造愛染明王坐像の両脇侍とともに、平成5年12月24日、福山市重要文化財指定。

 

解体修理 本堂に先立ち、昭和34年から37年までの3年間をかけて行われた。建て替えの痕跡はなく、創建時の形態に復元されている。

 

来迎壁画 初重内部には、創建当初来迎板壁の表面に五大虚空蔵菩薩像、裏面に兜率天曼荼羅図が描かれていたが、水野家二代勝俊が藩主の時(1639~1655)、剥落防止のため厨子に納めた。その時、狩野永世清によって模写された壁画も後に取り外され、現在は護摩堂内に納められている。

現在の来迎壁画は、江戸時代の修理の際新たに彩画されたものと思われる。創建当初の壁画は、現在、東京国立博物館に所蔵されている。

 

国宝 明王院本堂

 

国宝指定 昭和39年5月26日

 

創建 鎌倉時代末期の元應3年(1321年)解体修理の際、内陣の大虹梁蟇股に「紀貞経代々二世悉地成就 元應三年三月十四日 沙門頼秀」と記した墨書銘を発見。

 

様式 和様に大仏様・禅宗様の細部手法が加わった折衷様。

 

外部構造 東面して建つ桁行5間、梁間5間の入母屋造、本瓦葺。棟高11.8m。四面に切目縁が巡り、向背1間が付く。向背は角柱、他は総円柱。正面5間と両側面前より2間、背面1間は、上部に連子を入れた桟唐戸建てで、他は横はめ板壁。上方は漆喰壁。

 

内部構造 堂内は外陣、脇陣、内陣に区画し、外陣は輪種天井の畳敷、内陣は鏡天井の拭板敷。内陣と外陣・脇陣との仕切りは格子。内陣の来迎柱前面に擬宝珠高欄付きの仏殿を設け、檀上に厨子を安置する。

 

本尊 木造十一面観音立像で平安時代(十世紀前半)の作。明治32年8月1日、国の重要文化財指定。33年に1度御開帳になる秘仏で、春日厨子内に納める。右脇侍に平安時代末期作の毘沙門天立像、左脇侍に室町時代前期作の不動明王立像を安置する。

 

解体修理 昭和37年から39年までの2年間をかけて行われ、墨書銘の発見によって創建年代が確定した。度重なる修理に伴い一部改変があったが、多数の当初材の発見により、ほぼ創建時の形態に復元されている。
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五重塔
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明王院

 

 明王院真言宗大覚寺派の寺院で、もとは常福寺といい、大同2年(807年)弘法大師の開基と伝える。室町時代には「クサイツ草出 常福寺」の記録が残り、芦田川の中州から掘り出された「草戸千軒町遺跡」は、常福寺門前町でもあった。江戸時代初期(1655年頃)に水野家3代勝貞が、城下からこの地に明王院を移して現在に至っている。

 国宝の本堂は鎌倉時代末期(1321年)、五重塔南北朝時代(1348年)の建築で、平安時代初期の本尊「木造十一面観音立像」は重要文化財に指定されている。その他にも、県市の文化財指定を受けた建物や仏像が数多くあり、市内でも有数の文化財の宝庫となっている。

 


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本堂

 

寺名 明王院
住所 広島県福山市草戸町1473
TEL 084-951-1732
本尊 十一面観音
創建年 807年
駐車場  
備考