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【九州八十八箇所百八霊場】71番札所 浄漸寺

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浄漸寺の銅像如来座像

 

 松浦鎮信(法印1549~1614)の時代に、平戸に曹洞宗勝音院という寺があり、指定の仏像はその寺の本尊であった。慶長十年(1605)に松浦鎮信は、その禅寺が弘法大師空海 真言宗の開祖)ゆかりの地と伝えられていたので、真言宗に改宗命令を出したが、住職は従わず、怒った松浦鎮信は遠藤という武士を遣わして、勝音院を焼き討ちさせた。住職の英轍と隠居の両和尚はその仏像にすがりつつ焼死したという。

時は慶長十年三月十日の夜であった。跡地に真言宗最教寺が建てられたが、怪異が続いたため、早岐浄漸寺に移され、薬師堂を作り安置された。

浄漸寺は奈良時代の養老二年(718)に僧行基により、現在の早岐小学校の南西隅に開山したとされ、明治初年の廃仏毀釈で廃寺となったが、明治十三年、現在の場所に再興された。面長の個性的な面貌を見せる異国的な色彩がある。中国的な影響も見られ、総体的に朝鮮半島高麗時代(十世紀初~十四世紀末)の特色を示し、薬師如来と考えられる。座像は高さ60㎝で、このような大型の高麗金銅仏は、日本に30数体が知られ、内20体程が壱岐対馬を中心に確認されている。浄漸寺の仏像が日本に渡来した経緯は明確でないが、十七世紀の初めに松浦藩の本拠地の平戸に存在した意味は大きく、松浦鎮信にかかる由緒は正しいとされる。昭和二十八年に盗難にあって両手を失っているが、高麗仏として像容や鋳成において遜色なく、特徴ある面貌や造作、類例が少ない背部の切り込みなど、仏像彫刻としての美術的な価値も高く、この種の高麗金銅仏の鋳造技術や、製作の地域性についての研究上からも、非常に貴重な文化財である。
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本堂

 

寺名 浄漸寺
住所 長崎県佐世保市上原町510
TEL 0956-38-2473
本尊 銅像如来座像
創建年 718年
駐車場  
備考