【九州四十九院薬師霊場】43番 常福禅寺
遠く平安朝のころ開創され真言密教の霊場であったが桃山末期古月■和尚開山として臨済宗南禅寺派に属し、常福禅寺と称する。
国家重要文化財
薬師瑠璃光如来座像
仏像は蔵■に安置す。
多久藩の信仰厚き奥の院は弘法大師をまつり、又徳川中期■時代の名工平川與四右衛門一族の石仏群境内に安置■佐賀県における石仏発祥なり。
県の名木指定三百年の樹齢の金木犀あり。
石造地蔵菩薩坐像
本像は、砥川石工集団が拠点とした谷集落に所在する臨済宗南禅寺派の古刹、常福寺の境内に安置されている地蔵像です。塔部に刻まれた銘文から元禄二年(1689年)の作であることがわかります。
像形は一般的な地蔵坐像で、右手は釈杖を持つように手のひらを握り、左手は膝元で手のひらを上に向けて宝珠をいただいています。胸元には納衣の下に裳上端部が見え、ベルト状の紐まで丁寧に表現しています。顔部は顎が小さくやや細面で、口は小さく造り端正な顔立ちです。
残念ながら石工銘は刻まれておらず不明ですが、本像の遺存状態は非常に良く、制作当時の状況を今に伝える石仏です。非常に流麗で、石工の技術の高さが伺える作品です。
刻まれた銘文の内容は、以下のとおりです。
奉彫刻地蔵菩薩尊像唱
名號一百萬篇■皆令璃
苦得安穏楽埃當村念仏
石造如意輪観音菩薩半跏坐像
肥前砥川石工の里を眼下に見下ろす山麓に所在する臨済宗南禅寺派の常福寺に安置されるこの如意輪観音菩薩半跏坐像は、名工平川与四右衛門自らが願主となって奉納した石仏である。
石像は、下から亀甲文様の基礎石~樽型竿石~蓮華座を重ね、その上に右足を立て膝にした輪王坐を呈する。右肘は膝の上に置き、頬に手を当てる。左手は半跏する左足の後方につく蝕地印の形をとる。この観音像の柔和な面相や流麗な衣などの表現に彫刻技術の高さをみてとれる。
樽型竿石の正面には「三界萬霊等」の銘が陰刻されており、その両側面から裏面にかけて、次のような銘文が刻まれる。
(裏面)
願主 平川氏
与四右衛門尉
嵩享保廿一丙
辰天二月吉日
(側面)
■質自好童子
知泰童子
智光童女
幻知童女
如因童子
雪庭童子
平川与四右衛門が享保二十一年(1736)二月に奉納したことが記されている。六人の子供の戒名があることから、これらの子供の菩提を弔うものであろう。
常福寺は砥川石工の多くを檀家とした寺で、与■碑ち■・・・
国家重要文化財
本尊 薬師瑠璃光如来座像
木彫
美術史の中では藤原中期の彫造様式をいま伝える木造で檜材を用いた一木造りで一切象生の心身の病魔を除き法薬を与えられる仏である。
木彫
仏法を守り、諸仏諸菩薩を護る帝釈天は、本尊仏の脇侍であろう。
九州地方には非常に類の少ない佛教尊像である。
本堂
寺名 | 常福禅寺 |
住所 | 佐賀県小城市牛津町上砥川3696 |
TEL | 0952-66-0517 |
本尊 | 薬師瑠璃光如来 |
創建年 | 平安時代 |
駐車場 | |
備考 |