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【熊本県八代郡氷川町】宮原三神宮

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熊本県八代郡氷川町鎮座の宮原三神宮
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三宮社六地蔵(町指定文化財

 貞享2年(1685年)に、三宮社(現三神宮)神蔵寺に建立されたが、明治初期の神仏分離令神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させること)により、明治4年から昭和59年まで西福寺に預けられていた。そして、同年再び、三神宮に設置された。

 六地蔵は、地蔵菩薩が六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天界)の能化として説かれ、その信仰が発展して日本で考案された六人の菩薩(大定慈悲・大徳清浄・大光明・清浄無垢・大清浄・大堅固)が、それぞれ六道を守護し、人々を救済するといわれている。

 

三重ノ塔心礎

 三神宮の境内、鳥居の右側に保存されている。昭和34年、文化財保護委員により現在地から東30m地点で発見されている。発見場及び礎石(そせき)穴の大きさから神蔵寺の三重の塔の心礎(しんそ)であっただろうと推定されている。

 塔心礎(とうしんそ)とは、塔の芯柱(しんばしら)を受ける礎石で、上面に柱を入れる穴が開いている。

※神蔵寺とは、三宮社6坊(神蔵寺・閑光寺・西福寺・護平寺・光沢寺・浄国寺)の一つで、応保元年(1161年)から三宮社寺として境内をつらねていた。


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馬場通り由来記

 乗本商店から三神宮鳥居前を通り、下宮公民館までを馬場通りという。

 明治維新後から昭和十年頃まで、三神宮秋季大祭にこの通りで流鏑馬が奉納されていたことに由来する呼び名で、神幸式が御旅所の川原大神宮から無事に還御されたことを祝って演じたと伝えられている。

 流鏑馬は、射手が馬を疾走させながら、馬場の南側に立ててある二箇所の的に向かって二本の矢を順に三回繰り返し射る。参拝者はその放射された矢を、縁起物として競って拾った。その賑やかさは壮観で、祭りの終わりを告げるにふさわしい行事であったといわれている。


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宮原三神宮由緒

 当宮はもとは三宮社と称していましたが明治維新後、宮原三神宮と改称し、郷社に列せられました。平治元年(1159年)九月二条天皇の勅命によって、越中前司平盛俊が社殿の造営にあたり、応保元年(1161年)六月十六日に竣工され、盛俊の弟平盛房を兵庫頭従四位に叙し、社司に任じて、同年八月十三日に勅使として、内大臣平重盛等と共に肥後国八代郡火の村に神輿を奉じて勧請しました。天正十六年に社殿のほとんどが焼失しましたが、加藤清正公が再興され、寛永年間から国主細川公代々の当宮を厚く崇敬されました。以上のような由緒正しい古い宮でありまして、実に八代北部全域の守護神として尊崇され今日に及んでいます。昭和三十六年十月には御鎮座八百年祭が盛大に斎行されました。


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楼門
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拝殿
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本殿

 

神社名 宮原三神宮
住所 熊本県八代郡氷川町宮原491
TEL 0965-62-2186
御祭神 天照大御神国常立尊神武天皇
創建年 1161年
社格  
建築様式  
駐車場  
御朱印