【熊本県球磨郡湯前町】市房山神宮里宮神社
御神馬彫刻
昇り龍「導きの龍」
この龍神像は、神社の「地域に元気を取り戻したい」という願いを受けて、チェンソーアート世界チャンピオンの城所ケイジ(43)(和歌山県田辺市龍神村在中)に龍神像彫刻を依頼したところ「御神縁」により快諾され製作されました。材料の杉は樹齢90年、直径80㎝、長さ3mを使用。平成22年4月23日から26日までの4日間でチェンソーだけで彫られました。
龍神像は、皆様方の運気が上昇することを願われ、「導きの龍」と城所氏により命名されました。日本一の木龍と思われます。
昇り龍「導きの龍」
降り龍「地治めの龍」
この「降り龍」は、平成22年度に奉納された「昇り龍 導きの龍」に続き製作されました。「昇り龍」は、生まれてから三百年の時をこのうつし世の地上で暮らし空(高天原)へ昇り、「降り龍」は、三千年の長き時を越えて地上に舞い降りたと言われています。
「口蹄疫」や「東日本大震災」「原発事故」で荒れた日本の地のすべての運気を元に戻し、さらに天へと導き舞い立つことを願い、製作者の城所ケイジ氏に「地治めの龍」と命名されました。平成23年4月27日から四日間をかけて御神木に命が吹き込まれました。一対となった龍神は、皆様の運気をさらに高めるでしょう。
降り龍「地治めの龍」
湯前城跡(史跡)
北を球磨川、南を都川によって仕切られ、里宮神社の北側背後丘陵を主郭とする中世城跡。東側鞍部から山の斜面を下り里宮の南側に至る。長さ200mにも及ぶ堀切が見られ堀底は二段構えとなっている。周辺には自然の崖や人工の堀を巡らし、南側の麓の集落を加古井と称し、そのほか下城、水の手、古城、平城、上城、藏坂、三助小跡、黒門阪などの小名が残っている。
「求麻外史」によれば、東直政が居城していたが永禄2年(1559)獺野原(現多良木町)の合戦で敗れ、翌年東能登が城主になったという。文禄3年(1594)相良長毎の朝鮮出兵中、犬童氏を滅ぼそうと謀ったとして死を命ぜられた竹下監物が、命に背き湯前城に籠って抗戦したが、敗れている(求麻外史)。廃城後の記録として元禄12年(1699)の球磨郡神社記に慶長9年(1604)のこととし「普門寺ヲ湯前城ニ移ス」とある。
又、境内の手水鉢は享保8年(1724)普門寺に寄進されたもので町指定の文化財である、
拝殿
本殿
神社名 | 市房山神宮里宮神社 |
住所 | 熊本県球磨郡湯前町下城 |
TEL | 0966-43-3032 |
御祭神 | |
創建年 | |
社格 | |
建築様式 | |
駐車場 | |
御朱印 |