歴研

歴史好きの歴史好きによる歴史好きの為のブログ

【福岡県朝倉市】美奈宜神社

f:id:rekiken9:20190623083725j:image

福岡県朝倉市鎮座の美奈宜神社
f:id:rekiken9:20190623083746j:image

由緒

 

今から千八百年前、父君景行天皇の教えに沿って、仲哀天皇は皇后と熊襲を征伐されたが、不幸病にかかり崩御された。皇后はこのことを秘し、その根幹新羅を討つべく、出師の計画を立て、兵員を集め、兵船、軍器の準備を整え、神々を祭って本邦最初の外征に、肥前名護屋から出征して行った。

 皇后は航海中、船中で大己貴命素戔嗚尊事代主命の三神に戦勝を祈願された。海上恙なく船は新羅の港に投錨し、上陸して戦端は開かれた。戦いは連勝し三ヶ条をもって降伏し大勝利を収め、高句麗百済も来貢し、肥前、高橋の津に凱旋された。そのあと戦争に勝利を祈られた三神を祭られた。その神が美奈宜神社の三神である。

 

白鷺塚

 三神奉賛の地は、白鷺が羽を休めた所で、竹の叢生する片延宇鷺塚一番地、白鷺塚である。


f:id:rekiken9:20190623083752j:image

蜷城の獅子舞

 この獅子舞は毎年十月二十一日(陰暦九月二十一日)に挙行される美奈宜神社の御神幸に奉仕するものであり、雌雄二対の獅子で構成される。獅子は胴体をシュロで編み、獅子役の足絆にもシュロを使用するなど特異である。

 獅子は長田・鵜ノ木地区から奉納され、長田地区は神幸神輿の警護、鵜ノ木地区は神輿台を祓う役を負っている。

 この獅子舞の特徴は、筑前地方に多い伎楽系統の獅子舞と異なり舞楽を伴わず、芸能的な部分が少ない。また、病気除けや豊作を願うという信仰に、祓いの獅子の姿がよく伝えられている。この系統の獅子は、筑後川中流域の各地に伝承されているが、現在に至るまで本来的な形態を残しているのは蜷城のみである。

 昭和五十一年四月、福岡県指定無形民俗文化財に指定されている。


f:id:rekiken9:20190623083700j:image

式内社

平安時代の初期醍醐天皇の延長五年(西暦927年)に左大臣藤原忠平等によって勅撰された国家の法制書を延喜式と呼びます。神社史上最大の貴重な典範で五十巻あり、その中の九巻・十巻に当時の大きな社の名が記載され、当社美奈宜神社は国弊社として書かれています。この延喜式に名がある社を式内社と呼び古来よりの大社です。筑前国は十一社あり、ここに残り十社が祭られています。

東より、宗像大社住吉神社志賀海神社、竈門神社、箱崎八幡宮、筑紫神社、織幡神社、麻手良布神社、志登神社、大己貴神社の順です。

この度の御大典記念として修復されました。


f:id:rekiken9:20190623083710j:image

筑前国の式内大社
f:id:rekiken9:20190623083717j:image

御神木
f:id:rekiken9:20190623083740j:image

拝殿
f:id:rekiken9:20190623083732j:image

本殿

f:id:rekiken9:20190623084617j:image

 

神社名 美奈宜神社
住所 福岡県朝倉市林田210
TEL 0946-22-5358
御祭神 大国主命素戔嗚尊事代主命
創建年  
社格 式内大社(国弊社)
建築様式  
駐車場
御朱印