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【宮崎県日南市】榎原神社

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宮崎県日南市鎮座の榎原神社
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榎原神社楼門(県指定有形文化財

 この楼門は、1816(文化十三)年に神社境内と門前町を結ぶ位置に建立された。

 構造は、楼門づくりという木造二階建で、高さ約11m、横幅約7m、奥行約4mで、一階の上に高欄の回廊を巡らせている。正面が三間からなり、中央が参詣者用の通用門(一戸)、両側二間にそれぞれ仁王像を、その上に随神像を安置して、八本の柱脚で建っていることから三間一戸八脚門という。

 楼門の特徴としては、柱上にだけ二手先出組を置き、二階の軒に隅木を配して垂木を並べ、その本数で柱間を決める和様式と、礎石と柱の間に礎盤を置き、柱上に台輪を置いてその上に組み物を置くことや、垂木を扇形に配するなどの禅宗様式と、流派的な折衷様式が用いられていることである。

 このような建築様式は、古く神仏習合を物語る歴史上の貴重な文化財として、極めて価値の高いものである。さらに地場産の飫肥杉を柱等の材料とし、礎石や礎盤に榎原石と呼ばれる凝灰岩を加工して造る等、地方的特色が顕著であることからも、県下に類例のない古楼門である。


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楼門
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仁王像
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仁王像
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榎原神社鐘楼(県指定有形文化財

 榎原神社は江戸時代初期万治元年(1658年)第三代飫肥藩主伊藤祐久公が、鵜戸神宮の神霊を勧請し藩内の鎮守として創建したもので、榎原山大権現と称され、歴代藩主の崇敬も厚く社殿神領の寄進を受けていた。当社は、神殿を中心に鐘楼・楼門などが残されているが、鐘楼は造形的にもこの神社の建造物の中では最も勝れており、県内でも数少ない貴重な遺構である。

 鐘楼は高さ11・41mで、細部(組物・蟇股・木鼻)の造りも入念な仕上げがされており、上蔀の鐘楼部の躍動感と、下部の黒板張りの袴腰の安定感とが好対照をみせている。


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鐘楼

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榎原神社御本殿(県指定有形文化財

 本社は、当時神女として崇められていた内田万寿姫の進言によって、飫肥三代藩主伊藤祐久公が万治元年(1658年)十二月二十三日、鵜戸神宮より勧請されたものである。(摂社桜井神社は内田万寿姫を祀る)

 現在の社殿は、宝永四年(1707年)に建てられ、当初は八幡造りであったものが寛政十年(1798年)当時流行していた権現造りに改造されたものと思われる。拝殿を入母屋屋根とし正面に千鳥破風、その前面の向拝に、唐破風を設けた。拝殿・相の間・神殿をつなぐ平面は八幡造りのままであるが、正面の姿は権現造りである。しかし従来から関係者は、屋根の複雑さから、八ツ棟造りと呼びならわしている。県下には、唯一の貴重な有形文化財である。


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本殿
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御神木

 

神社名 榎原神社
住所 宮崎県日南市南郷町榎原甲1134−4
TEL 0987-68-1028
御祭神 天照大御神天忍穂耳命彦火瓊瓊杵命、彦火々出見命、鵜茅葺不合命、神日本磐余彦命
創建年 1658年
社格  
建築様式 権現造り(八ツ棟造り)
駐車場
御朱印