【福岡県中間市】梅安天満宮
菅公と鷽の由来
その昔、菅公(菅原道真公)が太宰府に下向の折、蜂の大軍が現れ一歩も進めなかったとき、いづこからともなく鷽の大群が飛来してきて、またたく間に蜂を全滅させ、菅公の一行は無事通行できたという由緒があります。鷽の鳥は鳩よりやや小さく、頭と尾は黒く、腰のあたりは白く、腹部と背は灰色で雄の胸は美しいバラ色をし、奇麗な声で鳴くのが有名です。拝殿の前にある鷽の像の頭をさすると、頭が良くなることから、天満宮さまの守り神として知られ、幸運の神として信仰があり、広く親しまれています。
鷽替え神事は、一年中の嘘と誠を神前にて取替え、罪滅のためといわれ、開運の出世を授かると信じられ、求めて帰った鷽を神棚にお祀りすると、除災招福と、家運隆盛を祈願するのもこの故であります。
ここ徳若の天満宮は文永年間(450年前)太宰府の菅公(菅原道真公)を勧請して祭られたもので、延享年間(230年前)惣社山よりここに移されています。この地はもと梅安といわれていたことから、梅安天満宮と称され、祭礼日の御神幸は遠賀川の渡場までおくだりになり、御神輿の前後には神官が騎馬で伺候し、舎人が音楽を奏して奉従し近村からの参詣者も多く盛大であったといわれています。
また一説には安産の神として崇敬され、産安天満宮とも呼ばれていました。この神社は公民館の集会に利用されていましたが、昭和五十八年三月氏子の総意に基き浄財を集めて拝殿が新築され見事に完成し、公民館は移転し、伝統のうそ替神事が継承されています。
拝殿
神社名 | 梅安天満宮 |
住所 | 福岡県中間市42 |
TEL | |
御祭神 | 菅原道真公 |
創建年 | 文永年間 |
社格 | |
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駐車場 | |
御朱印 |