【佐賀県唐津市】田島神社
本社の御鎮座は悠遠の昔であって早くより朝廷の尊崇厚く奈良朝天平十年には大友古麿に詔命して田島大明神を贈らせ給う。大同元年には神封十六戸を充てられ正四位に列せられ元暦二年三月正一位に累進し給う延喜の制に於ては当国にて唯一の明神大神に列せられ中世以降は武門の尊信を受けて歴代唐津城主の祈願所となり明治四年国弊中社に列せられ毎年勅使を派遣されていたが、大東亜戦争後、宗教法人となり別表神社に編入され今日に至る。海陸交通安全豊作大漁商売繫盛の祈願所となる。
楼門
御由緒
田島三神は遠い神代の昔に天照大御神が素戔嗚尊と剣玉の御誓にて御気吹の中よりお生まれなさいました三柱の姫神で御出現になりました。
当社の御鎮座の年代を定めることは出来ませんが、全国的にも九州でも最も古い神社の一つとして知られています。当社への朝廷の御崇敬は特に篤く、奈良時代天平十年には、大伴古麻呂に詔命があって田島大明神の御神号をお贈りなされた。大同元年には神封十六戸を充てられ、正四位に列せられ中世以降は諸武将の崇敬も厚く、江戸時代に入ってからは唐津城主の祈願所となり、明治四年国弊中社に列格され、毎年勅使を派遣されていたが、戦後宗教法人となり、別表神社に編入された。
御神徳
田島大神は、海陸交通安全、公開安全船舶守護、大漁満船、海運漁業者の崇敬が極めて厚く五穀豊穣、商売繫盛の祈願所となり、古来より大陸の要衝でもあり、遣唐使は航海安全を祈願し、古社として崇敬され現在に至っています。
佐與姫神社
松浦佐與姫を祭るこの神社は、宣化天皇二年十月、大伴狭手彦は勅命により、任那を援護することになり、京の都を発し松浦国篠原の里に滞在した。篠原村長者の娘佐與姫は心優しく狭手彦と相思の仲となった。いよいよ出航の時、別れを惜しみ後を慕い領布振山(鏡山)に登り遥かに船影を望んだ。更に松浦川を渡り沖合遠く走る帆影は小さく雲間に没して見えなくなった。姫の悲嘆はますます募り田島神社の神前に詣でて夫の安泰を祈念しながらも泣き続け息絶えて神石となられた。世に言う望夫石である。これをお祀りしたのが当社である。豊臣秀吉より文禄二年百石の御朱印以来、徳川将軍家に引継がれた。その後、佐與姫の想いがかない、狭手彦は無事帰国した。以後、唐津城主の姫君などがお忍びで再三参拝され、良縁の御守を持ち帰られた。以来縁結びの守神として信仰厚く、男女の参拝は習俗となって現在も続いている。
佐與姫神社 拝殿
田島神社 拝殿
神社名 | 田島神社 |
住所 | 佐賀県唐津市呼子町加部島3965−1 |
TEL | 0955-82-3347 |
御祭神 | 多紀理昆売尊、市杵島比売尊、多岐津比売尊、大山積命、稚武王命 |
創建年 | |
社格 | 国弊中社 |
建築様式 | |
駐車場 | |
御朱印 |