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【山口県下関市】福徳稲荷神社

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山口県下関市鎮座の福徳稲荷神社
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谷嶽・谷森・谷川稲荷の三社に本社の御祭神の御分霊をお祀りしてあります。又近い時に縁組稲荷社を造営し、良縁を祈る参詣者をお迎えしています。

 前述三社には幼児の病気平癒或いは大漁・航海安全、又商売繫盛等ご利益霊験あらたかで、多くの参詣者が朱塗りの千本鳥居をくぐります。

 又、稲城山公園一帯に眠る萬物の霊を、万霊慰霊塔を建立して慰めています。


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千本鳥居について

 稲荷大神は、私達の生活に必要なあらゆる物を守護される衣・食・住の大祖神です。

 稲荷大神の御神徳は尊くして広大無辺であり、その有難き御神恩は「(開運)鳥居」の奉納により授かる事ができると云う信仰が稲荷信仰の一つとして在ります。

 お稲荷様を崇拝する人達の中には、信心によって危ない局面を救われたり、難儀から逃れたりして様々な成功を成し得た方達がいます。このような方々は一様に、精一杯の努力をした人々で、その懸命な努力は無意識の中の「神の意」に適った努力となって其の結果「成就」と云う御神恩を授かる事が出来たのです。

 こうして尊い御神恩を授かった多勢の崇敬者が、御神意に報いようとして清浄な誠の心で奉納したにが千本鳥居なのです。「千」の字を当てるのは数の多さを意味しますが実際には、千本以上建てられています。

 種々の成功を得た人達が奉納した鳥居ゆえに『開運鳥居』と命名されるところから、この有難いご利益に少しでもあやかろうとしてこの『開運鳥居』を潜る参詣者が後を絶ちません。

 そして一方では、願い事が成就しますようにと、願掛けの奉納をされる人達も在り、年を追って名実共に広大無辺の御神徳が威を増しています。
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千本鳥居
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福徳稲荷神社由来の記

当神社は山口県西部(旧長門国)豊浦町宇賀犬鳴の稲城山中腹に鎮座し、響灘を臨む全国でも稀な観海の稲荷神社にして壱千有余年の歴史を有している。

往時は現在の千本鳥居参道内に、谷嶽・谷森・谷川稲荷の呼称で祀りお社を造営していた事がうかがえる。

現存の資料に『人皇十二代景行天皇 安須の原に御臨幸の砌り御山(稲城山と推察できる)の姫菖蒲を叡覧あり、その美景に魅入られ、去(い)ぬ事を忘れる』とあり以来この処を「いぬことなき山」即ち「犬鳴山」と称し、更に「稲城山(イナギヤマ)」に転じたと伝えられる。

近世になると、礼拝所としての参詣は当然ながら、この景勝地を清遊の憩いの場として訪れる人も後を絶たず、昭和四十六年晩秋に右三所の稲荷神社を合祀する社殿を新たに造営し、谷川稲荷の碑に刻されていた「福徳」の二文字を神号として福徳稲荷神社と称えて現在に至り、日々善男善女を賽客として迎えている。

ご利益としては、五穀豊穣・商売繫盛は固より豊漁・航海安全・更には交通安全・技芸上達・学業成就等に霊験あらたかで、その他諸々の願い事を祈る参詣者が遠近を問わず拝礼に訪れる。

平成六年に環境整備の大改修を施して、今の荘厳な神社となり、尚一層御神徳が発揚されている。

 

倉稲魂大神(宇迦之御魂)

 主祭神であり別称に豊受大神・保食大神がある。一般に言う処の稲荷大神で、衣食住の守り神である。「稲」を当てるのは、人間の「命の根」となる稲を司り授けられる神という日本民族の生命的自然信仰に起因する。

 

大宮能売大神

主祭神の配神にして、天宇受売神の別称がある。天照大御神岩屋に隠れ給いし時異様な装いを為し、岩屋の前に舞い大神岩屋より出で給うや御前に侍し御心慰め給う、君臣の間に立ち能く和平を司り、技芸・学芸上達・福徳円満の神である。

 

大市比売大神

素戔嗚尊に嫁し給い倉稲魂大神を産み給う。「市」より商いを司り商売繫盛に御恵を垂れ給う神である。


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拝殿

 

神社名 福徳稲荷神社
住所 山口県下関市豊浦町大字宇賀2960−1
TEL 083-776-0125
御祭神  倉稲魂大神大宮能売大神、大市比売大神
創建年  
社格  
建築様式  
駐車場  
御朱印  

【山口県長門市】元乃隅稲荷神社

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山口県長門市鎮座の元乃隅稲成神社
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龍宮の潮吹とは、打ち寄せる波が海面近くの、わずか縦1m、幅20㎝の穴に突入し、上方に海水を噴出させる噴潮現象のことです。北よりの風が吹き海が荒れると潮が上がり、気象条件が揃うと海水を最大30mも吹き上げることもあります。その様子は、まるで龍が天に向かって昇るようにも見えると言われています。


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龍宮の潮吹

「龍宮」は、この地帯の海触地形の総称です。この地帯は第4紀洪積世(現在より約200万年~1万年前)の安山岩からできています。岩の間に黄色く見える部分が流紋岩で、その部分が波で削れて洞ができます。

 その洞内に打ち寄せる波が突入するごとに、圧縮された洞内の空気が縦約1m、横約0.2mの隙間より外に出ていこうとして海水を一緒に吹き上げる現象が見られます。吹き上げる海水は、北東の風が吹き海が荒れると30mに達することがあります。

 この一帯の海岸は岩礁洞穴に富み、龍宮洞、龍宮の舟隠しと称される小さな湾等があり、景観は人の目を楽しませています。

 この奇観は龍神のなせるわざとして、広く里人の間に信仰を集め、とりわけ旱ばつの際には近郷より雨ごいに集まる人が多かったと言われます。


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元乃隅稲成神社は昭和30年二白狐のお告げにより、島根県津和野町にある太鼓谷稲成神社から分霊された神社です。日本海の大パノラマを背に連なる123基の鳥居の景色は圧巻。参道出口に建つ大鳥居の上部に設置された賽銭箱に見事、賽銭を投げ入れる事ができたら願いが叶うと言われています。


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元乃隅稲成神社由緒

 近隣の、ある神社の関係者が、この地の景観を見初め、神社からこの地に移転の申込みがあった。その日の深夜、一匹の白狐が、岡村斎の枕元に現れ、昔からのかかわりを、詳しく話した後、「斎、他の神を祀るとは何事だ、吾をこの地に鎮斎せよ、そうすれば必ずその真心に応えよう」との、お告げに従い、昭和三十年四月元乃隅を神定の聖地とみなし、元乃隅稲成神社を奉斎。

社は小さくとも、霊験は際立っており、多くの人々の口コミで広く知られ、商売繁盛、大漁、海上安全は元より、良縁、子宝、開運厄除、福徳円満、交通安全、学業成就、願望成就の大神です。


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神社名 元乃隅稲成神社
住所 山口県長門市油谷津黄498
TEL 0837-26-0708
御祭神  
創建年 1955年
社格  
建築様式  
駐車場  
御朱印

【山口県長門市】八阪神社

 

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山口県長門市鎮座の八阪神社
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八阪神社人皇十四代元正天皇霊亀年中吉備大臣遣唐の砌、御祭神の加護により恙なく帰朝の時、船を仙崎港に繋ぎ遺跡を探聞し大いに神徳の著しきを感嘆され、帰京の後、聖武帝吉備公を遺し天平三年三月尊神廟を仙崎王子山の総頂に建立祇園社と云う。

人皇十四代順徳帝の建保四年八月二十八日大風の為破壊、特に勅令を似って洲崎の地に遷し、承久元年六月七日神事を行はせ給う(祇園祭)寛文十二年五月十六日仙崎大火の為類焼す。

延宝六年十二月毛利綱広公に依り此地に再建された。当社は維新以前は祇園社と称し長門国一社限りの神社にて長門一国の総鎮守として厚東氏、大内氏、毛利氏の崇敬特に厚く社領米五十石を賜り例祭には代拝使の参向、神事取締等別格の御取り扱いを受ける。

天文廿年八月大内義隆公参詣島甲、直垂、太刀等を神奉される

御祭神の古来からの侵攻は疫病、農病み、海上安全、漁業、農耕の護神として崇拝される。
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拝殿
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神社名 八阪神社
住所 山口県長門市仙崎祇園1339番地
TEL  
御祭神  
創建年 731年
社格 県社
建築様式  
駐車場  
御朱印  

【島根県益田市】柿本神社

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島根県益田市鎮座の柿本神社
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柿本人麻呂朝臣は、考昭天皇の皇子天足彦国押人命の後胤である小野族から分かれた柿本族の出である。柿本族の本拠は大和にあったが、その一部族が益田市戸田(小野郷)に移住、小野の地に於いて人麻呂公は御生れになったと伝えられている。青年時代に都に上られ持統天皇文武天皇の両朝に宮廷歌人として仕えられた。万葉集にある如く「鴨山の岩根し枕ける吾かも知らにと妹が待ちつつあらむ」の歌を残されて石見国の鴨山に逝去された。その鴨島は高津の沖にあったと今日まで語り伝えられて来ている。神亀元年国司が勅命によって終焉地である鴨山に社殿を建立したのが起源である。万寿三年の大地震により鴨島が海中に陥没したと伝えられている。その時の大津波のため人麻呂公の尊像は松崎の地に漂着されたので、この地に社殿を再建された。以後延宝八年に至る六五四年間松崎の地に鎮座。延宝九年亀井藩主により現在の鴨山に再建された。

当社は全国にある柿本神社の本社として歴代皇室の御崇敬厚く中御門天皇の御代、享保八年は人麻呂公御鎮座より一千年祭にあたり、正一位柿本大明神の神階と神位を宣下された。更に宣命、位記、太政官符を下されるにあたり勅使参向の沙汰があるなど、和歌の道に於いて特に当社を尊ばれた御聖旨によるものである。一千年祭にあたり霊元上皇御宸筆の御製以下五十葉の短冊を御法楽として御奉納された。

後、桜町天皇桃園天皇後桜町天皇光格天皇、任孝天皇の御宸筆を始め、各天皇の御製を含め合計三百葉の短冊が御奉納され現在重要美術品に指定されている。又明治天皇の御代、万葉集古義の御奉納、大正天皇御代、明治天皇御歌集、昭憲皇太后御歌集の御奉納、今上天皇の御代千二百五十年祭に御幣饌料等賜っている。

 

御祭神の御事績

宮廷歌人として仕えられ、万葉集に数々残された格調高き歌はまさしく言霊であり、日本最高の歌人である。後、歌の聖と仰がれるに至った。御歌を通して尊皇の至誠を尽くし日本の国柄を後世に伝えられた。石見国に御在世中、人々に楮を作り紙を漉くことを教えられたとも伝えられている。
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柿本神社楼門由緒

 歌聖柿本人麻呂朝臣は、天武天皇持統天皇文武天皇朝に宮廷歌人として仕えられ、大宝年中に石見国府の役人として石見に下り秀逸な石見相聞歌を残し、神亀元年(724)、石見高津の鴨島で逝去された。聖武天皇は甚く嘆かれ、勅命により鴨島に人丸社を創建された。万寿三年(1026)五月、石見未曾有の地震のために鴨島は陥没した。人丸社の尊像は松崎の地に漂着し、地区民は人丸社を再建した。石見大森銀山奉行大久保石見守長安は社殿の造営を行った。

 現在の柿本神社は、津和野藩主亀井茲政が、延宝九年(1681)、高角山に本殿、拝殿、楼門を建立したことから始まる。楼門は神聖な神社への出入口で、殊に入念に建造されている。これは偏に津和野藩主亀井茲政の崇敬が、篤かったことが伺える。

 この楼門は、初層と上層からなり、二層とも桁行三間、梁間一・五間の三間楼門で屋根は瓦葺きの入母屋造りである。上層には四方に切り目縁の床を張った廻縁を付け、勾欄を組み、組物は出組で、蝦尾を思わせるこぶし鼻と、柱頭の装飾的な木鼻が特徴的な折衷様式の門である。

 前回の大改修は明治二十四年(1891)に行われ、今回の平成十七年(2005)の改修は、百十四年ぶりの大改修となる。長い年月にわたる風雨等により劣化が進んだため、屋根の葺き替えと木部の取替え等の大改修が行われた。築後三百二十四年を経て、二十一世紀の現代に再生された。


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楼門
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柿本神社由緒

 柿本人麻呂朝臣は、七世紀末から八世紀初めの白鳳時代に活躍した宮廷歌人である。数々の格調高き、雄大荘厳な歌はまさしく言霊(ことだま)である。万葉集の代表的歌人で、一代明星である百人一首に「足曳の山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を濁りかも寝む」都に在りて

「東の野にかぎろひの立つ見えてかへりみすれば月傾きぬ」

石見にて

「石見のや高角山の際よりわか振る袖を妹見つらむか」

柿本大明神は、文学の神として学問の向上をお導きくださり又、農産業の神・くらしをお守りくださる神として、あらたかな御神徳を戴き、広く崇敬されている。
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人麻呂公像
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柿本神社本殿

 柿本神社の祭神は柿本人麻呂で、その起源は人麻呂の終焉地鴨島に勅命により建立された社殿といわれています。

 鴨島は万寿三年(1026年)の大地震により海中に没しましたが、その時に人麻呂尊像が松崎に漂着したので、現在地より北の松崎の地に社殿が再建されました。その後、近世に入り慶長十三年(1608年)に徳川秀忠の命により、石見銀山奉行大久保長安によって造営され、寛文十一年(1671年)には津和野藩主亀井茲政によって宝殿、拝殿、楼門が修理されました。

 そして、延宝九年(1681年)に茲親は風波を避けて神社を現在地の高津城跡に移転しました。複雑な地形を効果的に利用した社殿配置と独特の建築様式を持った当神社は津和野藩が残した重要な遺産となっています。

 本殿は正面三間、側面三間の入母屋造妻入、桧皮葺で、唐破風造の向背を有し、津和野の方角を向いています、殿内は亀井家の四ツ目結び紋を配した板扉によって外陣と内陣に区切られ、内陣の中央後方に須弥壇があり、向唐破風造屋根を戴く厨子が置かれています。

 また、柿本神社享保八年(1723年)の人麻呂千年祭にあたり正一位柿本大明神の宣下を受け、社宝として重要美術品に認定された御法楽御短冊が奉納されています。


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拝殿
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本殿

 

神社名 柿本神社
住所 島根県益田市高津町地方2612−1
TEL 0856-22-0756
御祭神 柿本神人麻呂命
創建年 724年
社格  
建築様式  
駐車場  
御朱印  

【島根県益田市】染羽天石勝神社

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国指定重要文化財

染羽天石勝神社本殿

 染羽天石勝神社は、社殿の東側、弁天池の背後にある注連岩を石神とした自然崇拝を起源とし、神亀二年(725)に天石勝命を祭神として創建されました。

延喜式』に美濃郡五座のひとつとしてその名がみえ、後に滝蔵権現と呼ばれるようになりました。承平元年(931)に社殿西側の高台に別当寺の勝達寺を建立し、中世には益田市の庇護を受けて発展しました。明治の廃仏毀釈に伴い勝達寺は廃寺となり、神社も名を染羽天石勝神社と改めました。なお、勝達寺の本尊であった不動明王座像は鎌倉の極楽寺に現存し、国の重要文化財に指定されています。

 本殿は、天正九年(1581)に火災で焼失しましたが、益田藤兼・元祥親子により再建されました。その後、江戸時代に修理され、昭和十二年に解体修理、昭和三十九年及び平成十年・十一年に屋根の葺き替え工事が行われています。

 本殿は三間社流造で、三間×三間の身舎の前に奥行一間の吹放し板張りの庇床を設け、両側のみに高欄付きの縁をもちます。このような構造は、重要文化財指定の建造物の中では唯一のものです。

 本殿の特異な平面構成と装飾彫刻の蟇股や手挟に見られる桃山時代の特色から、昭和四年に国宝となり、戦後、文化財保護法の制定に伴い、改めて重要文化財に指定されました。
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本殿
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神社名 染羽天石勝神社
住所 島根県益田市染羽町1−60
TEL 0856-22-3619
御祭神  
創建年 725年
社格  
建築様式 三間社流造
駐車場  
御朱印  

【島根県出雲市】出雲大社

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島根県出雲市鎮座の出雲大社
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出雲大社宇迦橋大鳥居
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登録有形文化財

出雲大社宇迦橋大鳥居(大正4年(1915)建築)

 宇迦橋大鳥居は、大正3年(1914)に新たな参道として整備された神門通りを彩るため、また、大正天皇の即位をお祝いして建築されました。寄進者は篤志家の小林徳一郎氏(島根県邑南町(旧瑞穂町)出身)で、小林氏の経営する建築会社・小林組が約2ヶ月(57日間)という短期間で建てたと言われています。

 大鳥居は鉄筋コンクリート造で、建立当時は日本一の高さを誇りました。その高さは出雲大社本殿の24mを越えないよう、23mにおさえられています。

 出雲大社の第一の鳥居にふさわしい歴史と風格が評価され、平成27年7月、国登録有形文化財となりました。
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国引き神話
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出雲大社末社

十九社

御祭神 八百萬神

由緒

旧暦十月には全国の神々が大國主大神の許にお集まりになられ、人々の幸福、生成発展のために神議なさる神在祭が斎行されます。十九社はその際の神々のお宿となります。又、平素は全国八百萬の神々への遥拝所です。
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十九社
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文庫

寛文七年(1667)の御造営に際して新造された図書館建物です。寄棟造の屋根は栗板の栃葺き仕様、内部は中央が土蔵造で和漢書などの架蔵部屋、その左右が畳敷きの閲覧部屋となっています。

 貞享二年(1685)、水戸徳川家二代藩主の徳川光圀水戸黄門)は『大日本史』の編纂のため「助さん」こと佐々介三郎を出雲大社に調査派遣します。「助さん」はこの文庫も訪れたことでしょう。

 光圀は、自ら考纂した『公卿補任補闕』を文庫に奉納しました。

文庫は、もと彰古館付近に建造、大正三年(1914)の彰古館建設により現在地に移築。


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文庫
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出雲大社摂社

素鵞社

御祭神 素戔嗚尊

由緒

素戔嗚尊三貴子天照大御神、月読尊、素戔嗚尊)中の一柱であられ、天照大御神の弟神にあたります。出雲国に天降りされ、肥河上に於いて八岐大蛇を退治されて人々をお助けになり奇稲田姫を御妻として大国主大神をお生みになられました。
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素鵞社


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彰古館(国登録有形文化財

 明治四十五年(1912)、御本殿や宝庫に収蔵されていた宝物・歴史的遺品などを常設の展示施設で公開するための宝物館建設の政府許可を得、大正三年(1914)に彰古館を新造開館しました。

 入母屋造二階建てで、正面中央には切妻造の玄関を設け、一階より遁滅させた二階部には■高欄を置く縁を廻らすなど社寺建築の要素を取り入れた落ち着きのある佇まいとなっています。

 収蔵の宝物類を拝観に供することは江戸時代には知られていますが、「神社博物館」の■矢です。

 現在、宝物館は神祐殿とこの彰古館となっています。
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彰古館

 

 

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御祭神大國主大神のお鎮まりになる御本殿の正面は南向きですが殿内の御神座は西向きとなっています。

昔より御参拝の皆様は大神様に向い合い御神座正面から拝しております。

先づ御本殿正面で御拝礼の後、瑞垣に沿って摂末社を参拝され、御神座正面に当たる此の場所より再度心を込め拝礼なさいます。
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拝殿
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本殿

神社名 出雲大社
住所 島根県出雲市大社町杵築東宮内195
TEL 0853-53-3100
御祭神  
創建年  
社格  
建築様式  
駐車場  
御朱印  

【島根県出雲市】日御碕神社

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島根県出雲市鎮座の日御碕神社
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日御碕神社

 日御碕神社の所在の浦は、『出雲国風土記』にみえる「御前浜 広さ一百二十歩あり。百姓の家あり」とみえる御前浜にあたる。

 その「百姓」の「御崎の海子」が採集する鮑は名品であったという。『風土記』には現・日御碕神社の祖形とされる「美佐伎社」「御前社」「百伎塊社」がみえる。「美佐伎社」が素戔嗚尊を祭る上の社(神の宮)、元は経島にあったと思われる「百伎塊社」が天照大神を祭神とする下の社(日沈宮)とされ、「御前社」は不明である。「伊勢神宮は日の本の昼を守り、日御碕大神宮は日の本の夜を守る」との伝承を受け止めれば、夜を治める「月夜見命」も鎮座していることに注目したい。

 祭礼としては毎年八月七日の夕方日沈みの宮の旧社地に鎮座する経島神社での「夕日の祭」、旧暦一月五日に宇龍港の権現島に鎮座する熊野神社で行われる和布刈神事、そして秘祭として大晦日に行われる神劔奉天神事がある。


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楼門
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日沈宮


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神の宮
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神社名 日御碕神社
住所 島根県出雲市大社町日御碕455
TEL 0853-54-5261
御祭神 天照大御神、神素戔嗚尊
創建年  
社格  
建築様式  
駐車場  
御朱印