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【大分県杵築市】奈多宮

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大分県杵築市鎮座の奈多宮
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萬世の為に太平を開く

中国、張横渠の有名な立言、即ち「天地の為に心を立つ。住民の為に命を立つ往聖の為に絶学を継ぐ。萬世の為に太平を開く」の結語です。人間の心というものを立派に作り上げるということが、人の為であると同時に天地の為だ。

 生きとし生ける人間は、それぞれ天という絶対者・創造者の営みを内具している。それを命というわけです。

そして、それを各自立派に遂行させ発揮させる。その為には、代々の聖賢が残した学問を絶やすことなく継承し、興起する必要がある。それでこそ往聖の為に太平を開くことができるのだ」と先師歴代総理の指南役安岡正篤先生は述べられている。敗戦の際、昭和天皇詔書の中にこの言葉を使われ、日本人の不屈の精神を鼓舞されています。

 

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天地万物一体

 中国、明の時代の儒聖、王陽明は死の一ヶ月前、「そもそも人間は、天地の心で、天地万物と我とは一体です。だから、是を是とし、非を非とする心は人間が生まれながらにして誰もが持っている心ー良知ーがあります。

 国が自然によく治まるためには、世の為政者が良知を発現しようと精進し、自然に是非の判断を公平にし、好悪の心も共通にして、他人も、自分も、国も、我が家も、同じように見ることが大事です。

 万民が信頼するのは、良知を致して本心を言い、良知を致して誠意を以って行うことです。」と弟子への手紙に書いています。

 天地万物一体論は、人類が生存するための永遠テーマであり、神意であるとも言えます。

 陽明は、知行合一も唱えて、「知識は実践することで始めて知っていることになる」と実践陽明学の意義を説いています。


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歌碑の説明

あひきする あまとやみらむ あくのうら きよきありそを みにこしあを

「網を引く漁師と思わるのでは あくの浦のきよいあらいそを見に来た私を」との意味でしょう。

白砂の浜全体を当時はあくの浦と呼んでいました。あくの浦が転じて安芸の浦となったと言われています。

 この歌は、あの字が多く使われています。これは、柿本人麻呂独特の詠み方で同人の作ではないかと言われています。

 平成四年春NHK大分支局より佐々木先生著「ニ豊路万葉をたずねて」が発行されたのを機に関係者の同意を得て建立しました。


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比売大神発祥の地

「比売大神は、先に国前郡奈多沖市杵島に示現される。」(宇佐八幡御託宣集)故に古来市杵島は、比売大神発祥の霊地として祀られ、崇敬されている。

応神天皇御滞在の地

 称徳天皇天平神護元年応神天皇は、伊予国宇和郡より奈多の浜に御着岸、御滞在の上、ここより宇佐の地へ向かわれる。

奈多宮創祀

聖武天皇神亀二年、宇佐宮が創祀され、それから五年後の天平元年に奈多宮が祀られる。初代大宮司は宇佐宿祢公基公、本宮の創祀である。

日本最上八幡初中後廟

永延二年、一条天皇より、初中後にわたり最上八幡であると叡感ましまして、「日本最上八幡初中後廟」十字の額を賜る。

宇佐行幸

称徳天皇天平神護元年、託宣により、壮大な「宇佐行幸会」が創る。勅使が下り、恩赦が行われる国家的行事であった。宇佐宮に於て新しい御神体が奉造されると、旧御神体が、比売大神を元宮とする奈多宮に還幸される行幸をいう。

神場行幸

卯・酉年、六年に一度、住吉の神場に行幸する。

戦国時代の奈多氏

奈多鑑基の女は、大友宗麟の正妻となる、鑑基は大友家の寺社奉行として重きを成す。その子、田原紹忍は宗麟の腹臣参謀として、活躍する。

 

 以上の如く古来皇室、藤原氏の尊崇厚く、爾来、細川、小笠原、松平各藩主に至る迄代々崇敬篤く、広く世人の敬神の念を集めている。明治五年、県社に列せらる。

 


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橘祖 田道間守公由来

 第十一代垂仁天皇御宇、田道間守公、勅を奉じ非時、香果即ち橘を求めて、常世国に渡り、或は強風怒涛を凌ぎ、或は峻坂莉棘に悩みつつ、萬里の異域に千辛萬苦も給ふこと実に十年二ヶ月にして所謂、八竿八縵を捧げて帰朝し給うや天皇既に、崩御ましませしかば公落脆甚だしく菅原の伏見陵に拝し、遂に御陵前に哭死給う今日本書紀所載公の述懐を左に謹写し其の忠魂義脆を敬仰し奉らんとす

 命を天朝に受りて、遠くより絶域に往る。萬里浪を踏みて、遥に弱水を度る是の常世国は、即ち神仙の秘匿、俗の■らむ所に非ず。是を以て、往来ふ間に、自づからに十年に経りぬ豈期ひきや■峻き潤を凌ぎて、更に本土に向むといふことを。然るに聖帝の神霊に頼りて、僅に還り来ることを得たり。今天皇既に崩りまして。復命すること得ず。臣生けりと雖も、何の益かあらむ。

嗚呼其の言行■に悲壮の極というべし豈忠魂義脆の結晶に非ざれば何とかくの如きを得んや常世の国とは何処地ならずと、雖も当時扁舟に乗りて大会を渡航するは難事中の難事にて赤地の山川を跨渉する亦容易の業にあらず■に大命の重きを知るものに非ずんば何でこの大業を成就することを得んや公の忠魂義脆は実に萬世師表と仰ぎ奉る所にして其の御遺徳は即ち橘祖となり或は航海の神となり給う後世其の神徳を敬仰し奉る嗚呼尊きかな

 

御勧請の辞

 そもそも田道間守公は幾多の苦難と■れつ子孫の為に橘樹を遠く異国に求めし、その梯を偲ぶだに尊き極であります再来幾星霜今や柑橘は我国屈指の重要なる産物として全国に広がり我が大分県に於ても特産柑橘として古き歴史と輝かしき将来を有しその面積三千余町歩に及び収量実五百萬貫に(大分県年産額)達しその需要たるや国民栄養保健上必要欠ぐべからざるものにて国内のみならず遠く外国までも輸出されつつある現状にて洋々たる前途も之偏に公の御遺徳の賜なり

 茲に奈狩江柑橘研究会員一同(横城奈多狩宿一円)相計り之が御遺徳を顕彰し奉るため公の尊像を建立を発願し広く柑橘業を営む者の公への感謝報恩と永く後世に産業開発の師表として崇敬致したく処も由緒ある奈多宮の神域に御勧請申遍く柑橘業将来発展を念願致す次第であります。



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市指定重要文化財

楼門

 寛永十九年(およそ330年前)の建築木付城代長岡興長の寄進によって成る

 


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楼門
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拝殿

 

神社名 奈多宮
住所 大分県杵築市奈多229
TEL 0978-63-8088
御祭神 比売大神、応神天皇神功皇后
創建年 729年
社格 県社
建築様式  
駐車場
御朱印