【島根県出雲市】長浜神社
長浜神社 由緒書
妙見信仰
北極星や北斗七星に祈る信仰で、国家鎮護や武運長久などの御加護で知られる。
戦国時代の大内・尼子・毛利の各武将や豊臣秀吉から、当初は社領寄進や安堵を受け、江戸時代の延宝三年(1675年)の火災の復興は松江藩主松平綱近が藩費を以て造営に当たり、武家の崇敬を集めた。
百日祈願と弓掛けの松
太閤唐入りの折、百日祈願せし功で方五十丁の社領寄進受けた。
使いの片桐且元が弓矢をかけた弓掛けの松は、昭和四十八年枯死するも根本が残存する。
神庭桃
当社境内の一本の桃の木より当地での桃栽培が広まり、江戸時代には妙見桃の石州行きとまで称された特産品となった。
近世の国引き(神門水海の干拓)
江戸期の慶長年間、秦重成は海岸砂丘の植林・砂防を成功させた。
弟の喜兵衛は、園村沢・萱原沢の湿地の干拓・開田を手掛けた。元和から寛永の頃、1280余石の美田が生まれた。
ゆかりの神社 金持神社
鳥取県日野町の金持神社の創建は、弘仁元年(810年)に出雲国薗妙見宮の次男が伊勢参宮の途中神夢があり宮造りしたとのことで祀られている神も当社と同じ神。
八束水臣津野命は「出雲の国は細長い布切れのような国だなあ。最初に国を小さく作りすぎてしまった。だから作り足して大きくしよう。」と言われ国引きを決意されました。
どこかに継ぎ足して縫い合わせられるような土地はないかと眺めてみると「朝鮮半島の新羅の岬に余った土地があるぞ」と見つけられ、幅広で大きく形の良いスキを用いて、大きな魚のエラを刃物で切り断つごとく、ススキの穂を切り落とすごとく切り取り、三つ捲りに縛った太い縄をしばりつけ、霜で枯れたツヅラをたぐり寄せるように、川船をそろりそろりと引くように「国来い」「国来い」と引き寄せて来て元の国に縫い合わせていかれました。
こうしてできた土地は、島根半島の西端の杵築の岬の一帯です。
この土地をつなぎとめるためにたてた杭は、出雲の国と石見の国の境にある佐比売山(三瓶山)です。また、引いた時の綱は、薗の長浜がそれです。
更に、挟田の国・闇見の国・美保の岬を国土生成され、4回にわたる国引きを終えられました。その後、人々は出雲の国の総鎮守として、国引きの神とその后神・御子神を薗の長浜の妙見山に祀りました。
厳藻かけ
当地方では忌明のあと海で身体を清めた証しに海の海藻をもって神社へお参りします。
お供え物でもあるこの神聖なる海藻は「いづも」と言われ「出雲」の語源になった言葉です。
「出雲国風土記」には当社のご祭神 八束水臣津野命が出雲の国号命名者だと明示されています。
となりの「いづもかけ」に海藻をかけて下さい。
神門
拝殿
本殿
神社名 | 長浜神社 |
住所 | 島根県出雲市西園町上長浜4258 |
TEL | 0853-28-0383 |
御祭神 | 八束水臣津野命、布帝耳命、於美豆奴命 |
創建年 | 不詳 |
社格 | 県社 |
建築様式 | 本殿:大社造変態 拝殿 神明造風 |
駐車場 | |
御朱印 |