【佐賀県吉野ケ里町】吉野ヶ里遺跡1(環濠広場&逆茂木)
建物等の復元整備について
本公園は、特別史跡吉野ヶ里遺跡の保存及び活用を図るため、遺構全体を土で覆って遺構を保護し、その上に当時(弥生時代の終わり頃)の建物などを復元する整備を行っています。
建物等の復元整備にあたっては、吉野ヶ里遺跡の発掘調査資料だけでは立体的な復元は不可能であったため
・中国の文献や関連する資料
・民族(俗)事例
などを参考に、考古学、古代建築学、民族(俗)学、生活史等の専門家からなる委員会で検討していただき、当時の吉野ケ里の様子を推定し復元を行っています。
したがって、本公園で復元している建物等は、現時点では当時のものに最も近い形で出来ていると考えられていますが、この他にもいろいろな意見をお持ちの研究者がおられます。
今後の調査研究により、新たな発見や考え方(知見)があれば修正も必要と考えています。
弥生時代と吉野ケ里
弥生時代とは、今から1700~2300年前、およそ600年間続いた時代です。吉野ヶ里遺跡は、この弥生時代600年間の流れを辿っていける全国唯一の遺跡です。現在復元しているのは、今から1800年前頃の吉野ケ里の姿です。みなさん、ゆっくり弥生の世界を楽しんで下さい。
鳥居の様なものの上に鳥が3匹……
環濠を張り巡らせています
逆茂木(乱杭)
米作りが盛んになるにつれて、水や土地を奪い合う争いが起こるようになりました。人々は自分たちの集落を守るため、集落の入口など特に重要な区域には、とがった木の枝や幹でバリケードを築き、より厳重に守っていました。これを逆茂木と呼んでいます。
逆茂木(乱杭)
次回、南内郭編
環濠広場&逆茂木 |
南内郭 |
北内郭 |
北墳丘墓 |
南内郭(西側) |
南のムラ |