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【佐賀県吉野ヶ里町】吉野ヶ里遺跡4(北墳丘墓)


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北墳丘墓・立柱・祀堂・墓道

北墳丘墓は歴代の王の墓であり、西には濠をわたって走る墓道、南には祖霊の宿る立柱と、歴代の王の祖霊へお供えやお祈りを捧げる祀堂があります。

ここは、吉野ケ里集落を築き上げた祖先の霊を祀る神聖な区域と考えられています。

 

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至る所に、甕棺墓の模型が作られています。実際、大量に当時のお墓があったようです

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墓道

 北墳丘墓にお参りするための専用の道と考えられています。この道は外環濠の外から延びており、吉野ケ里集落だけではなく、周辺集落を含めたこの地域の「クニ」全体の人々が北墳丘墓にお参りするための道であったと考えられています。

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祀堂

歴代の王の祖霊へお供えを捧げ、お祈りをする建物です。

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祀堂
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祖霊の宿る柱

 祖霊の宿る柱とは、北墳丘墓を守る祖先の霊が宿る柱と考えられています。

 北墳丘墓は、弥生時代の後半にはお墓ではなく、祖先の霊をまつる祭壇として人々の信仰の中心となります。

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北墳丘墓

 弥生時代の中頃、吉野ケ里を治めていた歴代の王の墓と考えられています。中からは14基の甕棺が見つかっており、一般の墓とは違い、ガラス製の管玉や青銅の剣など、貴重な副葬品が納められていました。北墳丘墓に葬られている人々の身分の高さを示しいます。

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北墳丘墓

2100年前の王の威光

 

 今からおよそ2100年前、この地に葬られた人々がいました。その人々は、吉野ケ里集落の歴代の王だと考えられています。

 永い眠りから覚めた彼らが語り掛ける当時の世界をご紹介します。なお、正面の発掘状況の展示のうち、遺構面と甕棺は本物を展示しています。

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吉野ヶ里遺跡の歴代の王が埋葬されているお墓の北墳丘墓は、室内施設になっており、実際の発掘現場をそのまま残しています

 

次回は、倉と市編です

 

 

環濠広場&逆茂木
南内郭 
北内郭
北墳丘墓
南内郭(西側)
南のムラ